その日はやけに暑かった。
大きな事件も解決して、ヒールのせいで悲鳴を上げている両足を何とか動かして
自宅に向かって歩いているところだった。
やけに空気が重く、暑くてジャケットも脱いで一人。
夜中もいいところでいつも、人で溢れている通りは人一人いない。
正直言ってもう立ってでも寝れるくらい疲れていた。

「・・・・い・・・・・・」

どこかから声が聞こえた。ホームレスか何かだろうか。
真っ暗な路地から、誰かの声。
ホームレスなら申し訳ないが放っておく。
だけど何故か気になった。
暴漢だったら上司へのストレスを発散させるサンドバックにしよう。

「・・・・・」

しかし路地は思っているより真っ暗だった。
そこだけすとんと抜け落ちてしまったかのように闇がうごめいていた。
その中から、何かが、腕をあげている・・?

「あの・・・」
「・・・・・・すけて・・な・・か」

やはり、人のようだ。
そっと路地に入って行く。

「だ、大丈夫ですか!?」

細い路地に体を小さくして座り込んでいる男の人が見えた。
男の人に近づくとやけに白い肌がはっきりと闇の中で浮かび上がった。
肩を貸してどうにか立ち上がらせる。
私の身長では少し足りなかったけれど何とか路地から引っ張り上げた。

「病院っ・・」
「いや・・・・・家に・・・・」
「家?家はどこですか?」
「ベーカー街・・・・221・・・・b」

顔もはっきり見えない。けれど低い声が耳から入りこんできた。
ベーカー街ならここからそう遠くない。



+++



「あのっ・・・」
「まぁ!シャーロックっ!!!!!」

夜分遅くに、という前に大家らしき老夫人は高い声をあげた。
どうやらこの無駄に大きな男の人はシャーロックという名前らしい。

「今日の夕方、ふらふら出て行ったと思ったらなんて!もう!」
「あ、そうなんですか。あの。支えてますか?」
「最近食事も取ってなくて、そんなのじゃ倒れるって私ってたんだけど」
「え、ええそうですかそれは心配ですよね」

ほとんど私の話を聞いていない彼女の手を借りて何とかシャーロックさんの部屋に
到着。ベッドに半ば落とす形になっちゃったけど横にした。

「困ったわ。ジョンは明日の昼ごろまで戻らないって」
「ジョン?」
「同居人よ。今夜は夜勤で。」
「あ、そうなんですか」
「シャーロックも大人だし後はなんとかするでしょ。えっと、ごめんなさいね」
「いえいえ、」

大家は早口でそう言って部屋を出て行ってしまった。
私も家に帰ってベッドで寝たい。

「えっと、シャーロックさん?私も帰りますけど、何かいるものありますか?」
「・・・・・・・・・・・ある」

シーツを剥ぎながらゆらゆらと上半身を起した彼。
暗闇の中では白い肌がより一層くっきり浮かんで見えた。
彫刻に似た美しさがある。けど階段支えるの辛かったしこっちも徹夜明けだ。
そんなことを考える思考は残ってなかった。

「起きて大丈夫ですか?私が用意できるものなら取ってきますけど・・」
「いや、ここに、ある」
「っ・・ど、どうしたんですか」

一瞬、殴ろうかと思った。
彼はあろうことか私を抱き寄せたのだ。腰に腕が回って首元に鼻が押し付けられた。
後の事を考えたら殴っておけばよかった。

「上物だ」
「何がです・・・・・っ・・・・!!!!やっ!なっ・・痛いっ・・・」

鋭い痛みが首に走った。
抵抗しようにも何かが肩に食い込んでいて下手に暴れられない。
ごくん、と耳の近くで飲みこむ音がした。
彼は、飲んでいる、私の、血を。

「やめてっ・・・んっ・・・」

頭がぼんやりしてきた、駄目だ、ここで意識を飛ばしてはいけない。
そう思っても体は思うように動いてくれなかった。
背中を駆けあがるのは痛みとは別の感覚。
頭の中で昔読んだ物語が次々と現れる。
この感覚と、血を飲む男、月明かりに照らされた白い肌。
吸血鬼だ、と思ったときには体の力が抜けて床に倒れた。
意識を失う直前に彼の笑った顔が見えた