「あ!君、だよな!」
「え?あ、う、うん。」
「シャーロック・ホームズの知り合いだよな!?」
「え、っとそれは・・。まぁ、顔見知りでちょっと挨拶する程度だけど・・・」
「良かった!あいつ友達いなくて困ってて!あいつ研究室から出て来ないんだよ!
研究室に入ろうとすると怒鳴られてさ!」

穏やかな昼下がり。
授業も早く終わって帰ってひと眠りしようと鞄に荷物を詰めて
廊下に出た瞬間、みたこともない(おそらく別の学科)の男の子に呼びとめられた。
少し前にある理由で図書館に閉じ込められ
彼、つまりシャーロック・ホームズと知り合いになり
それから、校内で顔を合わせたり、図書室でちょっと喋ったりしただけで
どうやら彼の「友人」扱いになってしまったらしい。

「そ、そうなんだ・・・大変ね・・いつから?」
「二日前に俺が見に行った時にはもう住みついてた。それより前かもしれない。」
「・・・・流石にご飯とか・・」
、言っただろ?出て来ないんだって。」
「・・・・・・・・・・・・・・・私にどうしろと。」
「何とかして、研究室から出してほしい。研究室で倒れられたら、俺たちが迷惑だ。」

そもそもこいつは誰なんだろう。
本気で迷惑そうにしてる当たり、友達とかではなさそうだ。

「そんなに仲良くないから・・・説得できるか分からないよ?」
「いいんだよ!会話できるやつが見つかっただけマシだ!」

彼には本当に友達がいないんだろうか・・・・
私はゆっくりとした午後を楽しむ時間を諦めて
踝を返し、彼が立てこもっている研究室へ向かった。

+++

「シャーロック・・・・?」

研究室のドアノブに手を伸ばしてまわしてみたけれど、やっぱりドアノブはがちゃん、と音を立てて開かない。
窓から背伸びをして覗いてみたらシャーロックが背筋を伸ばして何やら液体を混ぜ合わせている
コツコツ、と窓を叩いてみるが、反応はない。
あれは、無視しているというより、気付いていない。完全にこの世にはいない状態だ。
通信が切れてる。そんな感じ。
仕方ない。とため息をついて鞄を床に置いて、中を漁る。
小さなポーチを取り出して周りに人がいないことを確かめる。
メイクポーチにも見える細長いそれは、開けると、筆をさすことができるようになっていて
大学の中で買ったものだ。美術専攻の人が、筆を入れるのに使っている。
が、私のそれには銀色に光る工具のようなものが数本。
つまり。これは

「隠しカメラとかないよね・・・。」

見つかってヤードに引き渡されるのはごめんだ。
二本取り出して、鍵穴にさしこむ。ピッキングである。
がちゃがちゃと手ごたえのない音だけが響いて
どうしようかと思っていたら、がちゃん、と音を立てた。
しゃがんだままドアノブを回せば、ゆっくりと扉が開く。
素早く道具を鞄に突っ込んで立ち上がる。
シャーロックは相変わらず、顔を上げない。

「シャーロック?」

やはり聞こえていないようだ。
机の上にはビーカーやバーナーが沢山並んでいて、
走り書きのようなメモが散乱していた。
いくつか拾って読んでみたけれど、私の頭では理解できないものばかりだった。
化学記号が並んでいるあたり、科学実験をしているようだ。
椅子に座って、彼を観察する。
眉間にしわ。どうやら思い通りの結果が得られないらしい。
目の下にうっすら広がった隈。もう4日はろくに眠っていないだろう。
乾いた唇。水でさえ、最低限しか取っていないようだ。
皺の入ったシャツ。ブランド品だろう。だけど、何度か脱いで、また着てを繰り返しているようだ。
大きな大学なので院生用のシャワー室を拝借しているんだろう。
カチャン、かちゃん、とビーカーが音を立てる。
そして時折、ペンが紙の上を走る音。
シャーロックの手を眺める。
とてもとても

「・・・・・・・・・・・・・・・。」
「はぁい、シャーロック。」

ふう、とため息をついて彼が顔を上げたところで
私と目があって、やっと通信が回復したようだ。

「なぜここに?」
「あなたと同じ学科の人に、貴方がここに住み着いて困ってるから何とかしろって言われたのよ。」
「何故君に?」
「知らない。でも貴方と会話できる人=私で噂が立ってみたいね。」
「もうすぐ、結果が出る。」
「そう。四日も眠ってないみたいだし。流石に倒れるわよ。その結果が出たら食事に行きましょう。」

私の言葉はもう届いていなかったようでまた、通信が切れた。
シャーロックはビーカーを真剣に眺めている。
何か、よくわからないけれど、液体が分離を始めたようで
上と下でなんとなく色が違うようだ。

「・・・・・よし!これで僕の自論が証明された!」
「良かったわね。」
「何か言ったか?」
「ええ。何か食べたほうがいいわよ。ロクに水も飲んでないんでしょう?家にも帰ってないみたいだし。」
「何故、わかった?」
「色々。顔色みたらきっと誰だって分かるわよ。目の下の隈、乾いた唇、皺の入ったシャツ。」
「・・・・・面白いな。君はやっぱり面白い。ここにはどうやって入った?」
「貴方が知っていることで、私が秘密にしておいてほしい方法で。」

彼はニヤリ、と笑って走り書きのメモを集め始めた。
シャーロックが動くことを思い出し、パタパタと帰りの準備を始めている。

「流石に、僕も何か摂取しないとまずい。」
「後、十分な睡眠もね。」

鞄に、メモを入れて、扉を開けて出て行った。
さりげなく何か食べようと誘ってみたけれど、やっぱり効果はなかったか。
私も帰るか、と思って立ち上がろうとすると
彼が開けっぱなしの扉の前まで帰ってきた。

「・・・・・どうした。」
「え?」
「何か食べるんだろう?」
「・・・・・・・・・・・・。」
「なんだ。」
「いいえ。私、今大学1の変人に食事に誘われてるんだなぁって思って。」
「君が言ったんだ。何か食べろと。」
「ええ。私が言ったんだけどね。」

私も立ち上がって鞄をつかむ。
彼の足は長く、私より身長も高い。
すたすたと歩いて行ってしまい、彼を追いかける。
なんだかしゃくなのでヒールを鳴らして彼に追いつき腕をつかんだ。

「シャーロックって、」
彼は前をみたまま、校門を目指して歩く。
空は青く、日は温かい。

「とっても指が綺麗なのね。」

彼はぴたりと止まった。
私もつられて止まる。
同じ学年の何人かが怪訝そうな顔でこちらを見て、ぱたぱたと逃げるように去っていく。
彼は口を開きかけて、黙った。

「それから、外に出て思ったけれど、」

彼はクルリと首を回してこちらをみる。
< とても不思議なものをみるような瞳で、

「貴方の目の色もとても綺麗。知ってた?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・し、らなかった。」
「そう。覚えておいた方がいいわよ、シャーロック。」
「あ、ああ。」

彼はまた前を向いて歩きだした。
私もそれに続いて歩く。
彼がなんだか恥ずかしそうな、不思議そうな顔をしているのをみて
笑ってしまった。
彼は、変人で、心がないなんて言われているけれど。
たとえ心がなくとも、理解はできる。