ぱち、ぱちと暖炉の火が小さく音を立てる。
私は、ジョンがよく座っている椅子を暖炉の前まで持ってきてもらって、座っていた。
手には、蜂蜜を混ぜたミルク。
温かくて、甘い。
シャーロックは暖炉のそばに立ったまま微動だにしない。
マインドパレスに行ったままだ。
腹部がずきん、と痛む
その痛みに記憶がまた蘇る。
人の雑踏、警察、怒鳴り声を上げたシャーロック、心配そうな顔のジョン。
私は踝を返す。人の、雑踏。
男が私を見た、たまたま目があったと思った。
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ぱぁん
銃が、血が、お腹が、熱くて。
足元から崩れる感覚、
何もかもがスローモーション
誰かが駆けよってきて。それは私の良く知る人物、
黒いコートに青いマフラー。数秒前に邪魔だと罵った男だった。
頭を振って、記憶を追いやる。
犯人を捜索中に、シャーロックと口論になった。
私は、機嫌の悪くなった彼があとあと、どのくらい面倒かよく知っていたから
身を引いた方が賢明だと思って家を目指したはずだった。
犯人は、私の顔を知っていたんだ。
自分を追っている探偵と関係もありそうなことが分かる。
他人なら、口論なんかしない。
そうして私が標的になった。
犯人は、未だ逃亡中。
目が覚めたら病院で、手術は終わっていた。
とりあえず、一度家に帰っていいですよ、と言われて帰ってきた。
が明日にはまた病院へ戻らなくちゃならない。
ジョンは、『何かあったら携帯で呼んでくれたらいい』と言い残して二階へ上がって行った。
彼なりの気遣いだろう。
寒い。ロンドンの冬はあまりにも、寒い。
ミルクを啜る。
ハドソンさんが用意してくれた毛布と、ジョンから手渡されたミルク。
歩くのが辛いので今日は、一階のソファで寝るつもりだ。
ぱち、ぱち。
静かな部屋に、火のはぜる音。
「・・・・・・・・・・・初めて、」
静かな部屋に、男の声
「失うかと思った。心臓が凍る、という感覚はああいうものか。」
ぽつり、ぽつりと紡いでいく
「そういった感情とは縁を切ってきた。」
ミルクをもう一口
「君が、死ぬかと思って」
彼は、はぜる炎を見つめている
「死ぬかと思ったら、」
瞳に、炎の紅がうつりこんでいる。
「怖かった?」
私が彼の言いたい言葉を続けた。
彼は、やっとこちらを見る。
彼は、小さくうなずいた。
「そう、私も怖かった。」
「・・・・・死ぬかと思ったから?」
「それもあるわ。銃で撃たれるなんて久しぶりだったし。でもね、貴方と仲直りできないまま死ぬのかなって。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・。」
ぱち、ぱち。
マグカップの中は空っぽになっていた。
「いつか、君は何処か別の場所へ行ってしまうのか。」
子供みたいな顔をしたシャーロックが続けた。
「、君は、遠くへ。誰かの元へ。」
シャーロックが私の持っていたマグカップを取りあげて、暖炉の上に置いた。
「どうかしら、でもいつか結婚とかするかもね。」
少年は、不安そうに続ける。
「僕には、それを止める権利はない。ジョンは、僕と君の関係は友人だと言った。
だったら、もしそうなら、僕はそれを祝福すべきだろう。」
彼は私の前にしゃがんで
「僕は、その時を、祝福できるとは、思えない。」
目線を合わせる
「君を、失うのは、怖い。」
その表情は母親に怒られて謝罪する子供の顔だ。
「、僕は」
少年の頬は暖炉に当たっていたのに冷たかった。
彼の手は、緊張で震えていた。
シャーロックが自分の感情と向き合っている。
それは、ジョンと友人関係になってから、これまで何度かあったことだろうけれど
でも、同性の友情ではなかなかあり得ない感情と戦っているようだ。
「なんだか、愛の告白みたいね。」
「・・・・・・・どういうことだ。」
「どこにも行ってほしくないんでしょう?」
「・・・ああ。」
「誰のものにもなってほしくないんでしょう?」
「・・・ああ。」
「自分だけのそばに。自分だけのものに。したいんでしょう?」
「・・・多分。」
「立派な愛の告白よ。」
笑ったら、彼は、また難しい顔をする。
「シャーロック、」
「なんだ、」
「キスしてみようか。」
「・・・どうして。」
「愛なのか、なんなのか、分かるかも。」
するり、と頬に手が添えられた。
近くで見た彼の瞳は炎の色と混ざって光る。
薄い唇。それでもほんのり温かい。
少し合わせて、離れて、どちらかともなくもう一度引き合わせる。
脳内でもっともっと、と叫ぶ声。
「・・・・っ・・・ん・・。」
「・・・・・わからない。僕の中には愛だの恋だのそういったものは含まれない。でも」
「もっと、ほしくない?」
彼はまた、小さくうなずいた。
ぱちぱちと静かな夜が更けていく。
鼓動と瞳の大きさで恋をしているか分かる、と言った男が
恋を知った夜。