めでたく大学を卒業し、やっとMI6に出勤(?)しはじめた
眉間にしわを寄せながらこう言ったのは、同じ研究開発部であるQ課に配属されて 二週間後のことだった。
一緒に家に帰って、僕がシャワーを浴びている間に料理を机の上に並べてくれた
椅子に座って、フォークを片手に、

「職場が同じでしかも部署が同じだとマンネリ化するらしいですよ」

と言った。
何の話をしているか全く分からなかったせいで、僕はずいぶん間抜けな顔をしていたと思う。
はそれだけ静かに言うと、フォークでチキンを突き刺した。

「え、うん?なんの話?」
「ですから、今、同棲してるわけじゃないですか」
「そうだね。」
「猫ちゃんもいるし、すごい幸せですけど」
「僕もだよ」
「職場も、同じじゃないですか」
「そうだね。」
「先輩が、職場恋愛はマンネリ化するって!」
「僕ら今そういう状況?」

大学を卒業した次の日に、 が住んでいたアパートは引き払わせて 僕の家に引っ越しをさせた。
大学にいたころは職業柄、僕が の家に行くことがほとんどだったが
今となってはその制約もない。
は猫が好きってことも知ってたし、僕としては家に居ても職場にいても彼女の顔が見れる事が 最高だった。
ちなみに職場恋愛も同棲も推奨していないMに随分色々言われたけれど
二回、世界を救う代わりに認めてもらった。

「べ、つに。そういうことじゃないですけど、おうち帰っても職場でもウィリアムさんと一緒だから」
「僕はいいんだけど、その方が。」
「ウィリアムさんはそう言うと思ったから、ちょっと私、次の仕事引き受けたんで、来週からコスタリカに行ってきます」
「は?」
「ですから、コスタリカ」

当たり前だが、Q課の人間が国外へ行く任務にあたることはほぼない。
つまり、彼女が行こうとしているのはQ課の任務ではないと言うことだ。

「大丈夫です!一緒に行って下さる方はベテラン中のベテランですから!」
「まさかとは思うけど・・・」
「ジェームズ・ボンドさんです!」

僕はそこからベッドに入るまでの記憶がすっぽり抜けている。



反対に反対を重ね、説得に説得を重ねたものの努力空しく、 は週の初めにロンドン空港を出た。
彼女が現場に出ることはない。常にサポートだ。
パソコンも使えない老犬のために情報を集めたり拡散したり混乱させたりするために一緒に行くんだ。
スパイが任務に行くのに見送りなんかもってのほかなので僕はQ課の開発室から笑顔で出て行く彼女を見送っただけ。
離れて10分経ったがもう会いたい。
僕は落ちつくためにアールグレイを入れて、キーボードをタップする。
には悪いけれど、彼女には発信機をつけさせてもらった。
それから彼女が帰ってくるまで僕は研究室に引きこもった。
どうせ開発しろと言われていた道具も、設計しなきゃいけないものも沢山あったからだ。
シャワーと猫に食事を上げるためだけに家に帰り、生活のほとんどを研究室で過ごす。
まるで と出会う前の僕みたいだ。
研究室には人はほとんど入って来ない。僕の城だ。
コンコンとリズミカルなノック音が聞こえて僕は静かに顔を上げる。

「ただいま、帰りました。Q」

ひょこ、とドアの向こうから顔を出したのは だった。
僕はふらふらと立ち上がりルチアを引き寄せる

「わっ!どうしたんですか、Q」
「・・・・・」
「やだ、酷いクマ。また寝てないんですか」
「・・・・・・・・」
「コスタリカの空港でワイン買ったんですよ、帰ったら飲みましょうね」
「・・・・・・・・・・」
「あっ!遊びに行ったわけじゃないですからね!ちゃんとお仕事してきましたよ」
「・・・・・・・・・・・・」
「何か言って下さいよ!」
「・・・・・老犬のコロンの香りだ」
「Q、ほんとに鼻いいですよね。」

は職場に居る時、絶対に本名を言わない。
そのあたり、きちんと線引きをしている。
でも僕は今すぐ僕の名前を彼女の口からいって欲しかった。
いつまでたっても解かれない拘束にしびれをきらしたのか、腕の中で が身じろぎする。

「あの、報告書書かなきゃいけないです・・よ。」
「・・・・

彼女の薄い唇を人差し指でなぞる。
キョトンとした顔の彼女はきっと僕が頭の中で酷いことを考えているなんて思っていないだろうな

「なんですか」
「名前、読んで」
「Q」
「そうじゃなくて、」
「・・・・・おうちに帰るまで我慢してください」

するり、と僕の腕から猫のように抜けだした は僕が引きとめる前に研究室の扉からすり抜けていってしまった。
閉まった扉をしばらく眺めていたら、ドアがもう一度控え目に開かれた。

「やっぱり、ちょっと距離があった方が、良いですね」
「僕はこの数日最悪な気持ちだったんだけど」
「私も寂しかったですけど、でも前よりウィリアムさんのこと、好きって思いました」

顔を真っ赤に染めてそう言った は素早く扉を閉めて行ってしまった。
取り残された僕は、もうなんだか、なんていうか。今死んでもいいって、そんな馬鹿らしいことを思っていた。