去年の暮れに結婚した。
結婚式は挙げなかったものの、籍は入れた。
俺は籍もどっちでもよかったが、あいつは苗字をどうしても変えたいと笑った。
それは、あんたを殴り続けた父親の苗字が嫌だったのか、
俺の苗字を名乗りたかったからなのか、どっちなんだと聞いたら
どっちもです、とまた笑った。
「おい、起きろ、」
朝日も上りかけた朝の五時。
ファビアンはここまで送らせて、ワンブロック先のフラットに帰って行った。
家に帰ると真っ暗だったが、この程度はいつもの事だ。
一人だった時もそうだったし、仕事の時間がシビアな俺達にとって
相手が家にいないこともある。
時々、に仕事がなければ、起きていることもあるが
明日、いや、今日か・・・にはオランダでテロ活動を偽装しなくちゃならない
寝室のドアを開けて、でかいベッドに一人で眠っているを起す。
別に、起こさなくても着替えができないわけじゃないし、装備が外せないわけではない。
なんとなくだ、なんとなく。
眠っている状態から考える前に体を起すというのは、殺し屋ならではで。
も例によって飛び起きた。
口角が上がる。
何か唸っているが、あまりよく聞こえない。
リビングまで降りて、装備していた銃を外していく。
ごとん、ごとん、と重い足取りでが起きてきた。
コートを脱いで手渡すと受けっとって抱きしめて、固まった。
なにやってんだ、こいつ。
「・・・・うー」
「あ?なんだよ。」
「・・・・・・うー。」
「ちゃんと喋れ、俺は犬とは会話できない。」
「いまの、じかんを、ごぞんじ・・ですか・・・?」
「知らねぇな。」
「教えて差し上げます。朝の五時です。もう日が昇り始めています。」
「俺は明日?今日?依頼はない。から問題ないな。」
あんたが、できるだけ家に帰ってきてくださいと言ったから、
車飛ばして(ファビアンが)帰ってきたってーのに、酷い言い分だ。
結婚してから、特にルールは決めなった。
どちらが先に死ぬか分からないし、束縛するものナンセンスだ。
最低限の倫理を守ればいいと言うことになった。
何十人と殺してきた俺たちが、倫理を語る派目になるとは、笑える。
ただ。一つずつ、守ってほしいことを言おうとが言いだした。
守る義務も低いただの約束だと。
は家に帰ってくるように言った。できるだけ外には泊るなと
余裕があれば、家へ帰ってこいと。
俺は、特になかった。浮気?浮気相手を殺せば問題は解決する。家の中で銃を乱射するな?
それでもいいが、俺が守れそうにない。
悩んだ末に、建前のように思いついたのは、怪我をするな、ということだった。
これも、俺は守れそうにないが、立場が違うだろう。
女は、死にやすい。実に。なんでこんなに弱いんだと思う時がある。
だから、怪我をできるだけするなと言った。今のところ、彼女はそれを守っている。
「わたしは、きのうも言いましたが、オランダに行かなくちゃならないんです。」
「そうかよ。」
「ねむいです。」
「時間はあるな。」
「起こされちゃったら、睡眠時間がずれるじゃないですか!!!」
「今から二度寝すりゃーいい話だろうが。」
は猫のように丸くなってソファの上に転がった。
コートを巻き込んで、抗議しているのだろうか。
こいつの事だから、銃や爆弾を持ちだしたいと考えてるに違いない。
頭のネジは十分に吹っ飛んだ奴だ。
イライラしてソファを蹴る。起きるなら起きやがれ。俺は、それなりに疲れてるんだ。
「おい、起きろ。いや、寝るんだろ。寝室行け・・・?」
「私は怒っているんです!」
「そうかよ、じゃあいい、俺は寝る。」
「こんなに可愛い新妻が!怒っているんですよ!?旦那様は慰めるべきです!!!!!謝るべきです!!!!!」
自分で可愛いとか言う辺りネジの吹っ飛び具合がよくわかる。
自然と舌うちが飛び出た。あー、どうするか。
放っておいて、いいだろう。別に。そうだ。この俺が、女の言うことを聞くのもおかしいだろ。
階段をのぼりかけて、止まる。の怒りは収まってないらしい。
あー。クソ。こっちは疲れてるってのに
「おい。」
「・・・・・・・なんですか。」
「コート離せ。皺が入る。」
「・・・・・・嫌です。」
「あ?」
「・・・もう皺入ってます!遅いです!」
だったら言うな!!!!!!!
がつんとさっきよりも力を入れてソファの足を蹴る。
建前に決まってるだろ、あんたはファビアンか。
殴りたい衝動にかられるが、落ちつかせる。
俺が、怪我させてどうする。こいつの親父の二の舞だ。
俺だって、似たような環境だったが。
メナードのような、作り話のような環境はそうそうないもんだ。
仕方ない、とため息が出た。
コートごと、を抱き上げる。
「・・・ふふ」
「笑ってんじゃない。」
「・・・・ふふふ・・・・」
「おい。自分で歩くか?」
「嫌です。」
はよく笑う。
仕事をしている時も、仕事をしていない時も。
笑顔には色々と種類があるが、幼い雰囲気から幸せそうに笑う姿が一番多い。
まるで、自分は幸せなのだと、自己主張するように。自己催眠するように。
まぁ。仕事中のあの、特殊な笑顔も嫌いじゃないが。
ベッドに投げてコートを奪う。ッチ。皺が入った。
ベッドの上で大人しく空中を眺める。
何考えてるんだか。
しかし、この光景にはまだなれない。
俺のベッドに誰かが眠ってるなんて。
女を買っても、やることやりゃー、出て行かせる。
そもそも俺達みたいなのは人が眠っている横で眠ったり、近くで気を許せない。
誰でも一瞬、気を許して命をギリギリで落としそうになった経験がある。
がこの家に来た当初は酷いもんだった。
お互い体からにじみ出る警戒と殺気がお互いを刺激して一睡もできなかった。
が、ようは眠らなきゃいけない状況に追い込めば問題はない。
がバージンみたいな反応するもんだから笑ったが。
結果的にはそれはそれで新鮮で良かった。商売女に慣れるとこういうことがないからつまらない。
ベッドに入ろうとすると、はまだ何かしら考えていた。
思考してるというよりぼーっとしてるって言うのが正しいだろうが。
「入るなら入れ。」
「あれ。シャワー浴びないんですか。」
「もういい、あとでいい、ねむい」
「んー、はい。そうですか。」
硝煙の香りがまだ残っているが、別に構わない。
の体にも同じ香りが染みついてる。
ごろ、とに背中を向けて横になる。疲れた。
今回の仕事はつまらない上にイレギュラーもなく、ただただ退屈な仕事だった。
ターゲットが来て、殺して、終わりって言うのが簡単でいい。
一瞬の緊張感がたまらない。
そう簡単なもんは、どんなレベルの仕事でも早々無いが。
が、背中に張り付いた。
なれない、他人の、体温。
でも、不快じゃないのが不思議でならない
「ディクソンさん・・・」
「あ?あんたもディクソンだろうが。」
「んー・・そうでした・・・」
もう、相当眠いのか、言ってることがおかしい。
ふわふわといつも以上にゆったりとした口調でぽつぽつと続ける。
正直、声が、聞きたい。それは俺を安定させる重要な材料だ。
「おかえりなさい、です。」
ぽつり、と呟かれた言葉。
気恥しい?笑える?
この俺が、誰かにそんな言葉を同じベッドで、特に目的もない会話をして。
だが、これは、そうか。これが。
体の奥からじわりと広がる何かが、もう大分と経験していなかった気持ちだと、懐かしむ
「ああ、ただいま。」
背中で小さな笑い声が漏れている。
きっと、幸せそうな顔をしているんだろう。
殺し屋には似合わない。硝煙の香りを背負う女なのに。
俺の妻は、頭のネジが吹っ飛んでる。
肩が外れてもランチャーを握る好奇心に耐えられないし
爆弾が爆発する瞬間が一番わくわくすると笑顔で語る
銃はペンと同じようなもんだと身体中に忍ばせるような女だ。
喧嘩をすれば、お互い銃を持ち出す。
仲直りをすれば、壊れた家具を探しに出かける。
馬鹿げてる。馬鹿げてるのは分かってるが中毒性の高い毎日を送ってる。
甘い新婚生活なんて送れるか。
馬鹿な夫は誰だって思うだろうが。自分の妻が一番、かわいらしい生き物だと
俺だって馬鹿な旦那様なんだろうよ。