朝、共同スペースへ降りるとガウン姿でシーツにくるまったシャーロックが
ソファに座ってパインドパレスへと旅立っていた。
目の前で手を振ってみたけれど、反応は無く
仕方ないので聞こえないだろうけど、おはようと頬にキスする。
ぴくり、と動いたような気もするけれど、結局しばらくたっても宮殿から帰って来ないし
ジョンがそろそろ起きる時間だと思って、ケトルを火にかける。
しゅんしゅんと水蒸気が上がって、読んでいた新聞を小さく畳む。
ジョンはようやく起きたようで二階で小さな物音がしていた。
そろそろ降りてくるだろう
「シャーロック?コーヒーでいいの?」
ぴくん、と瞼が動いたけれど、返事はない。
確か、昨日の夜、最後にシャーロックを見た時も、ガウン姿でソファに座ってたような気がする。
ということは夜中に寒くなってシーツを引っ張り出してきたのか。
「おはよう、。今日は早いね・・・・。」
「おはよ、ジョン。コーヒーでいい?」
「ああ。うん・・・・シャーロックは・・・ああ、そうか。またか。」
コーヒーを二人分、マグカップに入れて一つをジョンの前に置く。
私はミルクと砂糖を入れてから飲む。
ジョンは私がたたんだ新聞を引き寄せて、一面を読みだした。
「今日は、何か特別な仕事があるの?」
「んー?なんで?」
「シャーロックじゃなくても分かるよ、いつもよりメイクが華やかだし、スーツも新しい奴だし・・・似合ってるよ、すっごく」
「・・・・・名推理ね、ワトソン先生。」
「いやいや、それほどでも。」
今日はね、とジョンに、いつもより華やかなメイクの理由と新しいスーツの理由を喋りながらゆっくりとコーヒーを飲む。
時刻は9時半。ジョンは椅子の背もたれにかけていたジャケットに腕を通した。
「あれ?どこか行くの?」
「カードの払い込みと、バイトだよ、バイト。知り合いの病院が人手不足らしくてさ。
最近、事件もないし、フラットにいたらシャーロックの八つ当たりが酷いし。」
「そっか。行ってらっしゃい。」
「ああ。うん。いってきます。」
ジョンは少し照れたように笑ってトントンと階段を下りて行った。
確か、迎えが来るのは10時半だったかな、と保存しておいたメールを読んでから
暇になってもう一度新聞を開けようとしたら
「ああ、いる。」
と声が。この部屋には私と、通信中の男しかいない。
「え?なに?」
「コーヒー。」
「あ。ああ。お帰りなさいシャーロック。」
ぱちり、と瞬きをして立ち上がったシャーロックにおはようのキスを送る。
びく、と身構えたがしばらくして私の前に座った。
私はシャーロックのためにもう一度キッチンにたす。
おはようのキス。しなかったら機嫌が悪いし、したら未だになれないような反応するし。
「デートか。」
「はい?」
「僕が、いるのに、デートに、行くのか。」
「えっと・・・え?」
シャーロックは長い指を自分の顔の前で合わせて正面を向いたまま言った
コーヒーを手渡して、隣に腰掛ける。
「どうして、そう思うの?」
「いつもと違うスーツ。君の好きな水色だ。普段は履かないヒールの高い靴。
香水は嫌いなのにつけている。この香りは柑橘系か。
メイクはいつもより少し派手目。だが、目ざわりというほどでもない。相手は年上か。
やたら時計を気にする・・迎えが来るのか!ここに!?」
行きついた結論に最後は少し怒りながら(いや、少しじゃなかった)立ち上がった。
ずる、とシーツが床に落ちる。裸じゃなくてよかった。通報されるところよ。
「恋人関係というものは通常、他の人間とは恋愛関係にならないものなんだろ!」
「ええ。貴方にそれを言われるとは思ってなかった」
「ジョンは二股かけられても気付かないがな。」
「それで殺人事件が起きてシャーロックの出番なのね。ジョンが殺されると困るなぁ・・」
「そんなくだらなくてつまらない事件は扱わない!
違う!僕が聞きたいのは君が今からデートに行くのか、ということに対しての返答だ!
デート、と言えるような関係でなくても相手の意識に止まろうとしているじゃないか!」
立ち上がってカツカツと私の前を行ったり来たりするシャーロックの襟首をつかんで引き寄せる。
こう言う時、自分よりもはるかに身長の高い彼氏だと困る。
が、彼の言った通り、いつもより高いヒールの靴を履いているため
普段より引き寄せやすい。
「キスして僕の機嫌を取ろうとするんじゃない。」
鼻がくっつきそうな距離で、綺麗な瞳が揺れている。
いつもより低い声。動揺を隠すために怒りを表現。
動揺、ねぇ。あの、シャーロック・ホームズが女に浮気の影があって
多少なりとも動揺してる。笑いそう。
「私は、貴方と出かけるとき、自分の持ってる中で一番お気に入りの服を着て、
普段は履かない少し高めのヒールを履くの。
私が高いヒールを履くと、貴方との距離が縮まるから。
それに、少しだけ。ほんの少しだけ歩く速度を合わせてくれるでしょう?
メイクは派手なのが嫌いなの知ってる。けど、やっぱりデートのときはおしゃれしたいから。
ちょっと頑張るの。口紅をいつもより明るくしたりしてね。
香水は嫌いなんだけど。でもね。家に帰ってきて、貴方のコートとか、マフラーとか、
私のつけてた香水が香るとね。すっごく幸せになるのよ。
貴方、何も言ってくれないから。気付いてないと思ってた」
「それがどう、返答になるんだ。」
「だって、私がデートに行くと思った理由は、
自分とデートに行くときに私が頑張ってるっていう姿を見てるから、導き出したんじゃないの?」
じ、と見つめるとシャーロックは黙った。
しばらく考えて、それから納得したような顔をする。でも悔しいから表情はあまり変化がない。
けれど心理学専攻の私にとって、その微妙な反応は言葉と一緒。
「・・・・それで、相手は。」
「犯罪心理学の有名な教授。私の名前を覚えてくれなくちゃ、
彼と一緒に食事に行く理由がないわ。とってもすごい人なの。」
「会わなくちゃならないのか。」
「会いたいの。私が。彼の論文は学生時代に読み漁ったわ。」
「君は文系で社会学専攻だったはずだが。」
「忘れたの?最初の一年だけよ。社会学を学んだのは。後の3年は心理学専攻だった。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・ああ。そうか。」
「ねえ、シャーロック。」
「なんだ。」
「キスしていい?」
と、言いきる前にがぶり、と唇に噛みつかれた。
シャーロックがキスしてくれることなんてないから吃驚して体がよろけそうになる。
「んっ・・・は・・・ね、シャーロック。」
「まだ、」
ずる、とつかんでいた襟首を離してしまって、半ばつま先立ちで彼にしがみつく。
「・・シャーロック、今日は別に私一人で会うわけじゃないのよ。他の先生も一緒。
でも、イギリス政府の下で犯罪心理学を研究してる私にとっては、どうしても彼の記憶にとどまらなくちゃ、駄目なのよ。
わかって、ね?」
「・・・・・・早く帰ってくる・・・ように。」
「はぁい。」
とタイミングよくチャイムが鳴る。
ハドソンさんが下からお客さんよ、叫んでいた。
バックを持ってもう一度、シャーロックにキスするのを忘れない。
食事が終わって、レストランを出ると
不機嫌そうな彼が立っていて、笑ってしまうのはもう少し先の話だ。