「おはよう、二人とも」
「おはよう、。今日はおしゃれだね」
「・・・ヤツと出掛けるのか」
「ヤツ?」
「もう、シャーロック!お兄さんのことをそんな風に呼ばないの!」

いつもよりメイクをしっかりと施し、奮発して購入した新しいワンピースを身に纏って
自室から221Bのリビングに下りてきたは、ジョンの褒め言葉に頬を染め、直後にキッと
シャーロックを睨むと、言葉遣いを注意した。彼の言う通り、今日はマイクロフトと出掛ける予定だ。

「なぜ私がお兄さんと出掛けるって分かったの?」

「迎えの車が来てる」

「え!?なんでそれを早く言ってくれないのよ!ジョン、今日はちょっと遅くなるから
夕飯の用意よろしくね!」

「わかったよ。いってらっしゃい」

ジョンは慌ただしく階段を下りていくを見送り、シャーロックを見遣ると、彼は拗ねて
ソファでうずくまってしまっていた。まるでお気に入りのおもちゃを取られた子供のようだった。

***



「マイクロフトさん!」
「やあ、。おはよう」

いつもの傘を片手に、車の傍らに立って懐中時計で時間を確認していたマイクロフトは
が玄関から出てくる音に気が付いて顔を上げた。

「いらしていたなら連絡をくだされば良かったのに・・・」

「早く着いてしまったのでね。私は自分が思っている以上に、今日を楽しみにしていたようだ」

慌ててマイクロフトに駆け寄るの頭を軽く撫で、さあ行こうか、と後部座席の扉を開けた。
普段は運転手が開けてくれるのに、今日は彼直々だ。ローズはマイクロフトが本当に今日を
楽しみにしていてくれたのが伝わってきて、嬉しくなった。頬が少し熱くなる。

「出してくれ」
「はい。かしこまりました」

車が動き出し、目的地へと向かう途中、はマイクロフトにお礼を述べた。

「あの、今日は本当にありがとうございます。私、日本にいたときからずっと行ってみたかったんです」
「君の見せてくれたガイドの写真が素晴らしかったからね。私も行ってみたくなったのだよ」

が日本で渡英する際に購入した、イギリスのガイドブックに掲載されていたカフェに
行ってみたいと言い出したのが事の発端だった。ロンドンから少し離れた、車がないと行きにくい
場所にあるため、は今まで行くのを諦めていた。しかし、マイクロフトに何気なく憧れの
カフェがあると話したら、彼が今度の休日に連れて行ってあげようと言ってくれたのだ。

(彼にはいつも良くしてもらっってるけど、あの時は本当に嬉しかったわ)



***




車を走らせること1時間ちょっと。辺り一面にはすっかりロンドンの都会の街並みは姿を消して
のどかな田舎町の風景が広がっていた。そして町の一角で運転手が車を停車した。
目的地に到着したのかと、は窓越しに外を確認するが、カフェは見当たらない。

「あの、大変申し上げにくいのですが・・・」
「どうした」
「住所はここで間違いないようです」

マイクロフトとは運転手に扉を開けてもらうと、車から降りる。二人の目の前には
以前は飲食店だったと分かる、空き家が寂しげに建っていた。

「あ・・・閉店しちゃったんですね」
「そのようだ」
「すみません。せっかく貴重なお休みに車を出して頂いたのに・・・」
「いや、私の下調べ不足だ。悪かったね」

目に見えて残念そうに肩を落とすを見て、マイクロフトはそっと彼女の肩に腕を回した。
そして車へ戻ろうと促すと、はしょんぼりとしたまま車にゆっくりと乗りこんだ。
マイクロフトも一緒に乗るのかと思ったが、少し待っていたまえと言って、車外で誰かに
電話をし始めた。数分後マイクロフトは運転手に行き先を指示してから、車に戻って来た。

「お仕事ですか?」
、お詫びになるかは分からないが、ここから少し行った先に私の別荘がある。
とても静かな場所だ。ランチとお茶の用意もさせた。これから行ってみないかね?」

「・・・いいんですか?」
「もちろんだ」
「じゃあ、お言葉に甘えて・・・」

***



数十分後、着いた先には、とても大きな別荘が建っていた。のどかな田舎町から少し離れた湖の前に
ひっそりと佇むその雰囲気は、思わず息を飲むほど素敵だった。はマイクロフトに手を引かれて
車から降りると、玄関ホールへと案内された。品の良い老夫婦が出迎えてくれる。マイクロフトに、
管理をまかせている方たちだと紹介をされた。来る途中で通ったあの田舎町に住んでいるらしい。

「ホームズ様、お待ちしておりました。もうすぐ昼食のご用意が整いますので、
先に敷地内をご案内されてはいかがですか?」

老夫婦に促されて、はマイクロフトに別荘を案内してもらう。彼はそんなに広くはないと
言っていたが、は十分広すぎると思った。2階には客室の扉がズラリと並んでいたし、
庭に出ると、そのまま湖に行けるようになっていて、真夏は泳ぐことも出来るそうだ。

「すごいですね、さすがと言うべきでしょうか・・・」
「そうかね?最近は忙しくてなかなか来れなかったが・・・子供の頃は弟も一緒に来たことがあった」
「シャーロックの子供時代ですか・・・」

は彼らホームズ兄弟の幼少期を想像しようとしたが、うまく想像が出来なかった。
二人一緒に仲良く遊んでいる姿なんて考えただけで、鳥肌が立ちそうだ。きっと昔から
シャーロックがマイクロフトに喧嘩を売っていたに違いない。

ぐるりと別荘内を一周したところで、ランチの準備が整ったと食堂に呼ばれた。夫人の用意してくれた
ランチは、素朴で懐かしい、優しい味のものばかりだった。は美味しそうに頬張りながら、
イギリスの母の味とはこういうものなのかなと、その味を堪能した。午後は天気が良いので、
庭でティータイムにしたらいかがですかと夫人にすすめられたのでマイクロフトと
午後の暖かい日差しを受けながら、紅茶と夫人お手製のお菓子を頂いた。

夕方になり、はすっかりリラックスしてしまったようで、庭のベンチでうたた寝をし始めた。
マイクロフトが苦笑しながら肩を揺すると、が寝ぼけ眼のまま見上げてくる。

「いくら暖かいとはいえ、外で寝たら風邪を引く。部屋で少し休むかね?」
「あ・・・すみません。今朝は張り切って早起きしてしまったせいか、急に眠く・・・ふぁ・・・」
「かまわないよ。ほら、来たまえ」

マイクロフトに肩を抱かれながら案内された別荘の2階の部屋は、一番広いメインルームだった。
は、到着した時に見せてもらった客室と違う内装に首を傾げた。

「あれ?ここって客室ですか?」
「ここは私が普段使用している部屋だ」
「え、マイクロフトさんの!?」

マイクロフトは慌てるを、おそらくキングサイズであろうベッドに座らせると、
自分も彼女の横に腰掛けた。そして、マイクロフトの肩の高さにあるの頭をそっと撫でた。

「今日は楽しかったかね?」
「はい!お店が潰れてしまっていたのは残念でしたが、お昼ご飯もティータイムも最高でした」
「実は、私があの店が既に閉店していたのを知っていたとしても・・・?」
「え?」
「最初から、ここに君を連れてくるのが目的だったとしても、君はそう言ってくれるかね?」

はどういうことだと驚いてマイクロフトに振り返る。見上げると、彼は申し訳なさそうな、
でもどこか自信があるような複雑な表情をしていた。

「ここに、私を・・・?」
「ああ、しかも私は今夜君をここに泊まらせるつもりだ」

の頭を撫でていたマイクロフトの手が、するりと下に移動し、柔らかな彼女の頬に触れる。

「いきなり私の別荘に二人きりで行くとなれば、君は警戒しただろう。それに君のフラットメイトが、
まぁ、主に我が弟がだが、止めに入るのも目に見えていた。何かここに来るまでのワンクッションとなる
良い口実はないものかと考えていたところに、君の憧れのカフェの話が舞い込んできたのだよ」
「それって、つまり・・・私の思い違いじゃなければ・・・」
「私は君に特別な感情を抱いているといことだ」

マイクロフトがあまりにもさらりと言ってのけたので、は唖然とするしかなかった。
まさか、あの、歩く英国政府の彼が。シャーロックの兄である、あの彼が。

「・・・知りませんでした」

は顔を背けて俯こうとしたが、頬に添えられたマイクロフトの手によって阻止されてしまった。
再び、彼のほうを向かされてしまう。ちらりと窺った彼の口元は片端だけ上がっていて、弟とそっくりな
笑い方をしていた。は、こんな状況だが「やっぱり兄弟だ」と思ってしまった。

「今までも、十分弟と同じぐらい可愛がってきたつもりだったのだが」

君は鈍いようだね、とマイクロフトに笑われて、の顔は羞恥に染まってしまった。
確かに、いつもお世話になりっぱなしだったが、まさかそういう感情が含まれていただなんて
思いもしなかったのだ。次第に涙目になってきたに苦笑すると、顔を寄せ額にキスを送る。

「まぁ、いい。今夜知ってもらえばいいのだからね、私の想いを」
「えっ!?」
「嫌だったら弟に連絡するといい。きっとすぐに迎えがくるだろう」
「・・・マイクロフトさん、ズルいです」
「そうだ。私は狡い男だ。君を騙してここまで連れてきた」
「私があなたのこと好きだってことにも気付いていたんでしょう?でも、私なんてあなたからすれば
まだまだ子供だし、あなたの恋愛対象にはならないと思って諦めていました」

は、初めて会った時から彼をずっと素敵な人だと思っていた。けれど、自分なんて対象外だと
決めつけていた。自分に優しくしてくれるのも、シャーロックのついでくらいにしか思っていなかった。

「私から行動しなければ、君の想いは永遠に聞けそうになかったのでね」
「・・・好きです。初めて会った時から好きでした」
「ありがとう。私もだよ、

そして、マイクロフトの唇がそっとのそれに重なる瞬間、彼は「好きだよ」と囁いた。
触れるだけの優しい口づけ。ゆっくりとお互いの顔が離れて行き、は瞳を開けると
真っ赤な顔のまま上目づかいに、彼を見上げた。マイクロフトも目を細め、を見つめ返す。

「私の今日の行いは許してもらえるかね?」
「・・・私、他にも行ってみたいカフェがあるんです。そこに連れて行ってくれますか?」
「仰せのままに、お姫様」

の手を取ると、笑いながらマイクロフトは手の甲に忠誠のキスをした。

「今度はちゃんと営業しているか調べてくださいね!」

照れながらも、ちゃんと釘を刺すに、マイクロフトはとうとう声をあげて笑い出した。
マイクロフトはやっと想いの通じ合った、可愛い彼女の肩を抱き寄せながら、これから忙しくなりそうだと
今後のことを思案し始めた。

(そうだな、まずはあのフラットから私の元へと越してもらわねばいけないな・・・)

のフラットメイトの二人も、相当彼女のことを可愛がっている。一筋縄では行かないだろう。
どうすれば彼らが諦めるだろうかと、作戦を練るマイクロフトであった。