ランチタイムに職場近くのカフェで一人昼食を終え、
オフィスに戻って来たが自身のデスク上に視線を巡らせると、目当ての物がマウスの隣に鎮座していた。

「 あった!あ〜も〜、無くしたかと思って焦ったじゃないよ〜 」

文句を言いつつも、オフィスを出る際に持って行くのを忘れた自分が悪いのだが。
社内はもちろん、外部との連絡手段となっているその小さな機器は、いつも肌身離さず持ち歩いているというのに、
今日に限って外出時にデスクに忘れるなんて…
重要な連絡が入ってませんように…
と、ホームボタンを押下し、液晶パネルをスライドさせてロックを解除すると、
辛うじて着信はないもののTEXT(メール)が受信されていることを示すダイアログが表示されている。
急ぎ(着信)じゃなくて良かった。
胸を撫で下ろしながらパネル操作でTEXTを呼び出すと、その送り主はあまりに意外な人物だった。

Text Message
May 28 , 2010 12:28
What are you doing ? SH
(何している SH)



Text Message
May 28 , 2010 12:36
I need some . SH
(アレが欲しい SH)



Text Message
May 28 , 2010 12:49
Why do you ignore my TEXT ? SH
(僕を無視するのか SH)



………なんなの、これ。
携帯画面で今の時間を確認すると、時刻は午後1時過ぎ。
こんなTEXTをよこすなんて、今ジョンは不在のようだ。
独りあのフラットのソファーにだらしなく寝そべっているであろう人物を想像し、パネルを押下する。
最後にSend(送信)ボタンを押そうとしたところで、新たなTEXTが受信されたことを知らせるバイブレーションに操作を阻まれた。
画面に表示された文章を見て深い溜め息が漏れてしまったのは仕方がないと思う。

Text Message
May 28 , 2010 13:07
Bored! SH
(つまらん! SH)



知るかっ!
という突っ込みは心中だけにとどめて、お子様探偵からのTEXT受信により阻まれた文章を送信する。



Text Message
May 28 , 2010 13:07
ランチのため外出してたの。
アレ(煙草)は駄目。
これからまた仕事。




送信されたことを確認してから、デスクに置いてあるマグを持って給仕室へ。
もしかしたら切れているかもと思っていたコーヒーサーバーには、淹れたてであろうコーヒーがなみなみと入っていた。
ラッキー!誰だか知らないけど、ありがとう〜
自らのランチタイムを犠牲にしてコーヒーを淹れてくれた人物に感謝しながら、マグにそれを注ぐ。続いて冷蔵庫の戸を開き、
中から自分用に買い置きしてあるミルクを取り出して黒い液体に注ぐと、直ぐさま液体は優しいベージュ色に変化した。
それを一口含んで濃さを確かめ、少しだけミルクを足してデスクへと戻る。
マグをデスクに置いてチェアに座り、スリープモードの端末を起こしてメールボックスをチェック。ついでに携帯も確認すると、予想通りTEXT受信のダイアログが表示されていた。



Text Message
May 28 , 2010 13:08
が外出に携帯を持たないなんてめずらしいな。
アレはジョンがどこかに隠したんだ、君は場所を? SH



Text Message
May 28 , 2010 13:12
私が場所を知るわけないじゃない。
推理してみれば?
見つけても、もちろん吸っては駄目。
じゃあ、これからまた仕事だから。




携帯を置いて、端末に向き合いデスクトップ上にある数個のフォルダを開く。
カタコトとキーを押す打音が、まだランチから戻って来ていない人の疎らなオフィスに響いた。

「 あれ?この案件の資料ってどこへ…… 」

ヴィーン ヴィーン ──────

ガタガタッ ────── !!

やったんだっけ?という呟きは呑み込まれ、予期していなかった音に身体はビクッと跳ね上がる。
その弾みで資料を探そうと手を伸ばした先、デスク上に並べてあったバインダー達が見事にドミノ状態に倒れた。
マグに当たらなかったのがせめてもの救いだ。
バクバクと脈打つ心臓を落ち着かせようと、胸に手を当てて深呼吸する。
予期しない音を発したそれを(というよりは、その音を発生させた人物を)忌々しげに睨みつけてから手に取り、ダイアログに従ってTEXT画面を呼び出す。



Text Message
May 28 , 2010 13:17
本棚には無かった。
つまらん。SH




あのね……
独り折り重なるバインダーの山にうつ伏して、隠すことなく盛大な溜め息を吐く。
退屈すぎるからって、私の仕事の邪魔をするのは止めていただきたい。普段自分が思考している時は、話しかけたって完全無視だというのに。
大体、堪え性というのが全然ないのだ。私より数個は年上なくせに、なんだかこれでは未婚のまま図体ばかり大きな子供を持った母親の気分だ。



Text Message
May 28 , 2010 13:18
そう。残念ね。
じゃあ、私は『 し・ご・と 』だから!




送信後、すぐに彼からの着信とメール受信音をサイレントに設定し、未だ崩れたままのバインダー達の整理に取りかかる。
図体ばかりが大きくて、頭脳ばかり明晰だったとしても、性格に問題があるのでは褒められたものではない。
胸を踊らせることと言ったら『興味を持った事件』だけ。
自分で天才と言うだけあって、その知識量と観察眼は舌を巻くものがあるし、
現にその能力を買われコンサルタント探偵としてヤードに強力もしている(オフレコだけれど)。フットワークだって軽いし。
それが、普段(事件がない日)はといえばまるで別人の様に自堕落だ。
「 つまらん 」と言っては壁を撃ち抜くし、うろうろと部屋を徘徊していたかと思えば、
リビングのソファでトーストの上のチーズよろしくだらりと伸びている。
極めつけは、あの偏屈な性格。
自分と他人との間に一線引いているくせに、近くなった人物にはなんやかんやで絡んで来る。
ジョンはそれを、「 シャーロックは人の揚げ足を取らずにはいられないから 」と言うけれど、私には小さい子供の『 ちょっかい 』にしか見えない。
かまって欲しい、でもどうしたらいいのかわからなくて、つい憎まれ口を言ってしまう。
そう思ってしまうと、あの偏屈で憎たらしくて自分勝手な男を、
可愛いだなんて、

「 ……思っちゃうんだよね、」

バインダー内の資料と端末に開いているフォルダ内の資料とを交互にチェックしていた視線を、ちらりとだけデスク上の携帯へ。
サイレントにしたためすっかり静かになり横たわるそれが、あのフラットに居るであろうシャーロックの姿と重なり、伸びそうになる手を叱咤する。
駄目だ。
ここで彼に何かTEXTを送ろうものなら、今日の仕事が進まない。
昨日が午前様だっただけに残業だけは避けたいし、出来れば巻きで終えてはや……く…、
あーあ。
なんだかんだ言いながらも、早く帰る算段をしてしまっている自分に苦笑してしまう。
シャーロックに対してジョンは甘過ぎると言っておきながら、存外自分も甘やかしているのかも、とコーヒーを一口含む。
ジョンや私だけでなく、ハドソンさんだってそうだし、マイクロフトだって。
会えば喧嘩しているイメージだけど、それはシャーロックが一方的に不機嫌になっているからだし。
フラットメイトになった時に、ジョンにシャーロックの動向を知らせるように掛け合ったとか
…そんなこと、いくら弟が心配だからってそこまで普通はしない。
うぅぅん、なんだろう…。
シャーロックの周りの人間は、皆が皆彼に甘い人達ばかりな気が……もしかして、彼をあんな我が儘放題にした原因は、

「 私たちにもある…かも? 」

端末にメール画面を呼び出し、数人のアドレスを宛先に引っ張って件名に『 企画資料及び進行状況報告 』と題し、チェックを終えた資料をアタッチ(添付)する。
送信ボタンをクリックして、一息つくことなく別フォルダを開いた。

「 えーっと…明日の会議のレジュメを 」

プリンタを指定して枚数を入力し、印刷ボタンを押したところで、端末のメールボックスに新着メッセージが届いた。
今持っている仕事の案件のどれだろう。もしくは、ものの数十秒前に送ったメールへの返信だろうか。
カーソルを動かしてメールボックスを呼び出すと、現れた新着メッセージの差出人にがっくりと肩を落とした。
もうむしろ頭痛すら覚える。



From : John H Watson
(No Subject)
May 28 , 2010 13:41
To :
、君のせいだ!! SH
ma-a892b55j9i3e.jpg




本文の下のアタッチファイルをクリックして表示されたのは、彼らのフラットの壁。
正確には、以前よりも穴の数が増え壁紙が捲れ、それはもう無惨になったフラットの壁の画像。
頭痛が増した気がするのは、気のせいではない。
どうやら、私が携帯をサイレント(シャーロックだけ)に設定してTEXTを無視していることを察し、
ならばとジョンのパソコンを使って私の社用の端末にメールする作戦に出たらしい。
暇だからと仕事中の私を巻き込んで、相手にされなくなったら壁に銃で穴を空けてその画像を送りつけて、
僕にこうさせたのは、君(が、僕にかまってくれないから)だ?
まったくどこまで子供なんだろう。
ジョンに、またパスワード変更した方がいいよって伝えなきゃ…
キーボードをカタカタとタイプして、送信ボタンをクリック。
どちらにしろ、かまってちゃんと化したコンサルタント探偵を大人しくさせるしかない。
きっと、今送信した内容で私の意図は伝わるだろうし、
そのためにはこうして邪魔をすることが得策ではないことも、シャーロックならばわかるだろう。
数秒も経たない内に新着メールが届き、やんわりと口端が上がったが、その内容を確認してつい溢れてしまった小さな笑い声に伸び上がって周囲を見回す。
幸い、オフィスには離れたデスクにぽつぽつと数人の頭が確認出来る程度だ。



From : John H Watson
(No Subject)
May 28 , 2010 13:45
To :
ジョンは帰らない SH




デスクに頬杖をついて、開かれている新着メッセージを眺めながら、口端は既にそれとはっきりわかるほどに上がってしまっている。
なんだかなー。
『 手のかかる子ほど可愛い 』とは、こういうことを言うんだろうか。
腕時計を確認し、

「 さてと、かなりキツいけど、17:00までには終わらせますか 」

一人呟いて、先ほどとは別のバインダーを取り出しチェアに座り直す。キャスターがキュルリと鳴いた。
私が仕事を終えオフィスを出る頃を見計らって、
いつものコートとマフラーを身に纏いオフィスビルの前で待っているであろう彼を想像すれば、
普段は定時を諦める仕事量も難なくこなせる気がした。




From :
(No Subject)
May 28 , 2010 13:43
To : John H Watson
ミートパイ、芽キャベツと豆のスープ、クレソンとチーズのサラダ、材料費はシャーロック持ちよ!