時々、シャーロックが酷く遠くにいるように感じることがある。
そもそも、彼と同じ次元で、同じ空間で、同じことを感じるなど、不可能に近い。
だから、ジョンもレストレードも、Sirでさえ、彼と長く付き合っていけるのだ。
ところが、彼が恋を知り、愛を知り、表現し、伝え合う関係になった私はどうだ。
同じ次元で、同じ空間で、同じことを感じたいと欲張る。
何を考えているの?何を見ているの?何を感じているの?共有したい。
それをシャーロックに強請れば、彼は少し唇を閉じた後、
「くだらん」と一蹴する。または「うるさい」かまたは「関係ない」か。
沢山の知識が詰まった頭を持った男が、感情について語るのが苦手なのは、今に始まったことじゃない。
これまでもそうだったし、きっとこれからもそうだ。
だから、私は孤独を感じる。
理解してあげたい。そんな彼を慮り、彼の気持ちをくみ取り、受け入れ、感情を表しきれない子供に対して、
母がするように、一つ一つ、丁寧に感情を読み説かせていけば、それで問題は無くなる。
でも、私はシャーロックの母親ではない。
ずっと、いつだって、そうしてあげることなんか、出来ない。
彼の微少な表情と、声色で彼の気持ちをくみ取るのは難しい。
愛していると伝えると彼は酷く安心したような顔をする。
キスすると、不思議そうに眼を丸める。
抱き締めると、体温が伝わる。
そして、キスし返し、抱きしめ返してくれるが、言葉はくれない。
分かってる、シャーロックが幸せだと言うことを、感じていることは。
『愛してる、愛してる、愛してる、君を想っている』
言葉にならなくてもその声は私の心に届いている。
だけど。不安になる。本当に、シャーロック・ホームズは私の事を愛しているのか。
モノクロな彼の心に色をくわえたのは私だけれど、初めて色が加わってその鮮やかさに
翻弄されているだけで、本当は、本当は、
「!」
「だから、ちょっと待ってって!!ねぇ!考えてよ!!」
「煩い!」
「危ないって!一人じゃだめ!警察に連絡して・・」
「そんなことしている暇はない!」
「そんなことないでしょ!」
「シャーロック、の言う通りだよ、人質がいるわけでもないんだ。
レストレードに連絡してから向かったって、いいじゃないか」
「なら君がしろ。僕は先に現場へ。レストレードには現場に来てもらえ!」
「シャーロック待って!」
「黙れ!!!!!!!帰れ!!!」
酷い破裂音がして、揺れた頭のせいで髪が揺れて、視界が遮られた。
手を挙げたシャーロックはその感情の意味も、行動の意味も分かっていないようだった。
ジョンが制止の声をあげる前に振り下ろされた大きな手は、
「・・・・・・・・・・・帰れ」
頬に当たって、力なく降ろされた。
泣きそうな声でそう言って、シャーロックはコートをひるがえして走って行く。
「、」
「・・・・、」
「。腫れてる、冷やさなくちゃ。」
「大丈夫よ、大丈夫。私がグレッグに連絡しておくから、ジョン、お願い、シャーロックを追って」
「でも、いや、」
「一人で行かせては駄目。」
「・・・大丈夫かい」
「大丈夫よ。」
本当は、私の事なんか、愛してないんじゃないか。
一度不安がよぎれば、思考は止まらない。
ジョンの背中を見送って機械的に電話をかける。
分からない、シャーロックが。
干渉されることを嫌うのは分かる。私だけ許してなんて言わない。
・・・・・・違う、私だけは、許してほしい。
嫌われても、殴られても、誰かが止めなければ、貴方は走り去ってしまう。
ジョンも、私も、貴方を大事に思っているけれど、貴方は私やジョンを大事に思っているの?
そこに女の私が顔を出し、笑う。なんて都合のいい女、なんて。
「レストレード、」
『どうした?』
「いまから言う住所にすぐに行ってちょうだい」
『は?』
「こないだの宝石窃盗の事件、アジトを突き止めたそうよ」
『あいつらは?』
「止めたんだけど行っちゃった。早く、行ってあげて」
強い女であれと思い続けた。両親がいなくなり、世界は残酷だと知り、親戚に殴られ、
泣いてもいいが立ちあがらなければならないことを、知った。
<
そうしてここまで生きてきた。
誰かを支えることは得意。そういう人だ。
でも、誰か私を支えてください
誰か、私を守ってください
誰か、誰か、
お願い、私だって、私だって、暗闇が怖くて泣いていた女の子なのよ。
フラットへ帰ってきて、同じことを考えて、同じ結論に至り、涙を流し、また考えて。
何度繰り返したか、分からない。解決策は一つ。
シャーロックと距離を取ること。きっとこれが一番の解決策だ。友人に戻ること。
女から、友人へ。これで、今よりずっと干渉は減る。
足音が二つ。二階まで聞こえてくる。部屋の鍵が閉まっているのを確認して、小さくため息。
一回でジョンとシャーロックの声がするけれど、何を言っているのか分からない。
ただ、ジョンが怒っているようだった。
ばたん、と音がしてかけ下りる音。きっとジョンが出て行った。それでも彼は戻ってくる。
ジョンはシャーロックの親友だから。
でも、私はもう、シャーロックの隣に立つ勇気がない。
欲しがりは止まることがない。
ぎ、ぎ、ぎ、ぎ、ゆっくりと階段を上がる音。
シャーロックだ。ほとんど二階には近づかない。きっと彼は何故私と話さなければならないか分かっていない。
きっとジョンに謝れだの話せだの言われて、どうしたらいいか分からないから助言に従ったってところだろう。
『』
ドアノブが回されたけれど、ドアは開かない。
『、』
私は答えない。
今は、彼のために笑ってあげられない。
『、開ける、ぞ』
どうしたことか。鍵をかけていたのに、がちゃんと音がしてドアノブが回ってしまった。
「どうしたの?」
「・・・・・・・・・・・」
「どうしたのシャーロック」
「酷い、事を言った。」
「ってジョンに言われた?」
「・・・・・っ」
「謝る意味も、会話する意味も分かってない。」
「・・・・・・・」
「だったら話しに来ないで」
「でも、」
「いつまで私、貴方が私を分かってくれるまで待てばいい?」
「・・・・」
「いつまで、貴方の母親でいればいい?」
「・・・・・・」
「いつになったら、愛してるって言えるようになるの?」
「・・・・・・・・」
呼吸が浅くなり、涙で視界が揺れて、シャーロックの顔がゆがむ。
「もう、しんどい、」
唇が震える。
「、僕は」
「大学生のときに、分からないと言ったわ。貴方。こう言った感情が、分からないと」
「・・・・」
「知っている。知っていた。だからそれを含めてシャーロックだと、
いつか分かってくれると。思ってたけれど、貴方は何も変わらない。」
「・・、」
「ごめんね。ここまで一緒に来たけれど、」
「」
「もう一緒に歩いてあげられない」
言葉に出してしまえば、簡単なことだった。
心に秘めていた、言葉は、空気を震わし、自分の耳に戻ってくる。
「、違うんだ、僕は、」
妥当な言葉を探しているんだろうか。
そんな風には見えない。きっと焦っているんだ。彼には珍しく
「嫌だ・・・・」
「そんな子供みたいなこと、言わないで頂戴」
「どうすればいい?僕に何ができる。君は、君は僕の言えない言葉を言ってくれる。
君は僕の感情を読みとってくれる、、、だから、
僕は、君に、甘え・・・・甘えたんだ。僕は、君をどうしても、手放したくない。」
「それは。貴方の感情を読みとり、言葉に出してくれる人だからでしょ?」
「違う!違う!!!違うんだ!」
「何が?」
「何より僕は君を愛しているからだ!」
悲痛な叫びだった。
泣いているようにも見えたけれど、私が涙を流していたからそう見えただけかもしれない。
こんなにぶつかって、こんなにつらい思いをしなければ、私は。彼から欲しい言葉ももらえないなんて。
「、」
それでも
「、悪かった。あの時、君が僕をとめたのは。僕の身の危険を、予想していたからだ。
知っている。僕だって、分かっている。でも、僕は、理性的じゃなかった・・・・、行かないで・・・・くれ。」
「シャーロック」
「・・・・・・・・・・・・・」
「こんなにつらい思いをしなければ、貴方と分かりあえないの?」
「・・・・・」
「ねぇ」
「君が、僕を想ってくれるように」
「・・・・うん」
「僕も、君を想っている。」
彼の言葉は空気を揺らし、反響して、私の心まで届く。
涙が止まらない。愛されたかった、愛されたかったんだ。
私は、本当は、
「、愛してる」
あいしたひとに、あいされていた。