その夜、僕は一人で誰もいない湖の周りを歩いていた。
静かで、遠くで何の鳥の鳴き声かわからないけれど、何かが鳴いている。
反響しているから、どこにいるかなんて分からない。そのくらい静かだった。
月は満月。人はいない。僕だけ。森に囲まれたその湖は怪しげに光っている。
怖くない、なんて言えるわけない。
人より、なにか怖いものが出てきそうで僕は内心びくびくしながら周りをゆっくり、歩く。
大体、「何か怖いもの」がいるとうちのドラゴンが断言したせいで、何か出てくるのは間違いない。
精神に悪い。
が代わりになるといったが、シャーロックがしきりに君は駄目だと言うせいで僕が行くことになった。
いや、
に行かせるぐらいなら僕がいくけどさ。こんなに怖いとは思わなかった。
ぱしゃん、湖から音がした。魚でもはねたのだろうが、ついでに僕の心臓もはねる。
そこから僕が次に目を開くまで数十秒もかかっていないだろう。
ざばああ!と黒い影が湖から上がってきて僕の足をくわえた。
くわえたといったのは腕(のような)感触ではなかったからだ。
どちらかと言えば犬に噛まれたような、そんな感じ。
「わあああああああああああ!!!!!!」
それなりに危険とは隣合わせで暮らしてきたが、これは驚いた、まるでホラー映画じゃないか!
「ジョン!!!!」
どこからか駆け付けたシャーロックが縄を投げた。
僕に向かってじゃない、その黒い影に向かってだ。
嘶きが夜空に響く。
が僕に手を伸ばし、森の方へ引きずる。
黒いコートを着たシャーロックの瞳が金色に光った。ゴ、と音がして炎が黒い影を取り巻く。
「水中なら奴のテリトリーなら陸なら僕の方が上だ!」
勝ち誇ったようなシャーロックの声が聞こえたが、僕はそれどころじゃない。
「大丈夫?」
「・・・あ、ああ。その言葉を待ってたんだ。」
「・・・・・あれ・・・・・う・・馬?」
シャーロックがぐい、と引っ張った縄は、綺麗にそれの首と口に巻きついていた。
あれは『くつわ』と『たずな』だったのか!
「ケルピーだ。湖に人を引きずり込んで内臓を喰う。
いらないところは捨てるから、死体は浮かばなかったが内臓が浮かんだ。
もう誰のものか分からないだろうがな。
さて。どうする?血を思い出したお前がこのままここにいるわけにもいかないだろうな!」
見上げるほどの大きさの大きなその馬は黙ったままだった。
「今まで被害がなかったのはお前が特に人に興味がなかったから。
しかし、強盗事件の犯人がここへ死体を捨てたことによって、お前は本能的に血を思い出した。
お前たちは死肉を口にしないからそれなりに新鮮だったんだろうな。
それから人を襲うようになった。三週間空いたのはストックができたからだろう?
おい、僕の推理に文句があるならしゃべってみろ!」
と言ったが、その馬は何もしゃべらずばしゃん、
と派手な音を立てて水しぶきに変わってしまった。きっと水の中へ戻って行ったんだ
「事件は解決だなレストレード!」
「いいいいいいいや、解決してないだろ!あれなんだよ!どうすりゃいいんだ!!!」
「遺族には死体はみつからなかったと言え。空の棺桶を埋葬しろ。
どうせもう人間の姿でもないだろう。あっちは・・・マイクロフトが何とかする。」
「ど、どいういうことだ!」
「僕らは空の生き物だ。陸とも正直違う。それぞれが間を取り持つように、きちんと連絡すればいいのさ。
まぁその辺りの処理はマイクロフトの仕事だ。僕じゃない僕は事件を解決した!それなりに楽しかった!」
とここで僕らの事件簿は終わるんだけど。
その夜一晩中噛まれた右足が凍ったみたいに冷たくて
一人ガタガタ震えるくらい寒くて風呂場から出れなくなったのは言いたくないが、事実だから記しておこう。
++++
少し向こうで休養した後221bへ帰ってくると壁紙が綺麗に直されていたが
シャーロックの眉間には深い皺が寄っていた。一人掛けのソファには傘を携えた英国政府が座っている。
「あら、Sir。こんにちは。」
「やぁ、
。」
「どうも」
「今回はお手柄だったなジョン」
「餌役だったけどね。」
「十分、役に立った。」
「Sir!紅茶でいいですか」
「ああ。ありがとう
。」
キッチンへ歩いて行ってケトルにお湯を沸かしはじめた
。
マイクロフトの前に座るのは気が引けるのでカウチに腰掛ける僕。
そして玄関で立ったまま動こうとしないシャーロック。
「座りなさい、シャーロック」
「・・・・ッチ・・・・・・・手配は」
「すんだよ。あいつらは同族を守るから、どうなるか分からないがね。」
「僕らだってそうだろ」
「私たちはこうして人間と手を組んで中立をそれなりに守っているだろう」
「さぁな嘲笑ってる奴のほうが多い」
「いいんだよ、シャーロック。笑わせておけ。奴らは結局、私たちを頼らざる負えなくなる」
は黙ってマイクロフトへティーカップを手渡し、僕にいつものマグカップを渡した。
そして彼女はシャーロックと自分の分を持って窓際の椅子へ腰掛ける。
「ところで、なんで
だと駄目なんだ?そりゃ女性だから僕が行くのが妥当だったけどさ」
雰囲気を変えたくて僕はシャーロックに声かける。
彼はコートをかけてバイオリンの方へ一直線に歩いて行った。
「
だと駄目だ。僕の匂いが強くついてる。」
「まぁ。つまり餌には丁度良かったんだよジョン。」
「・・・・・・・はぁ・・・」
「ちょっとダイエットした方がいいかもね。ジョン」
「・・・・えっと、そういう意味でもか・・・」
「ああ、勿論」
「Sirも健康診断の結果酷かったですからね。駄目ですよ、痩せなきゃ」
「さぁ、そろそろ帰るかな」
「聞いてますか!?」
はホームズ兄弟に平等に厳しいらしい。
彼らが怒られている姿はそれなりに見ていて面白い。
僕はアールグレイを啜りながら今回の事件の全貌をどう物語へ書き換えるかぼんやりと考えていた。