「誘拐事件?」

イライラしたようにぐるぐると歩きながらスマートフォンを握るシャーロックが声を荒げたために
僕は一度、ノートパソコンから目を離すことになった。
シーツにくるまってぐるぐる歩く男はそれなりに奇妙だ。
ことん、と僕の横にマグカップが添えられて顔を上げれば が困ったように笑っている。

「久しぶりだね、事件」
「ほんとに・・・・これで壁紙の修理がしばらく止まるかな・・・」

我が家ともいえる221bの壁はずいぶんと焦げ跡が目立つようになった。
しばらくの間、マイクロフトが工事をしてくれたおかげで新品同様だったのに、
が出張に出かけてまたこのありさま。
帰ってきた が一言「鉄の口輪でも作る・・・?」とつぶやいたのを良く覚えている。
ついでにその時の顔が無表情で、シャーリーがそれなりに引いていたのもね。

「・・ジョン! !今晩の列車に乗るぞ!!!!」

スマートフォンをソファに投げ捨てて部屋に戻ったシャーロックは
いつもならだらだらと文句を言って着替えないのにものの5分ほどで着替えてでてきた。

「とりあえず何か食べる!楽しそうな事件だ!!!!」
「ちょっと待ってくれよシャーロック・・・なんだって?今夜?」
「そうだ!今夜の列車だジョン!今回は少し遠出になる。」
「なんで私も―?」

シャーロックが何か食べると言った瞬間、 は立ちあがってキッチンへ。
彼の気が変わる前に何とかして食事をさせる魂胆だった。
にこにこと笑うシャーロックに がキッチンから声をかける

「君も必要だ! !君がいると推理が冴える!」
「じゃあ僕はいいかな」
「なんだって?ジョン、君は僕専用の小説家だろ!」
「あはは、小説家か」

シャーロックの元へ持ち込まれる事件の6割がその、ファンタジー要素を含んだ事件だ。
もちろん、そのまま書いたら僕は医者よりも先に精神病棟へ行かざる負えない。
だけど彼の行動があまりにも面白いから、彼と僕を主人公に物語として事件簿を残している。
事情を知っている人以外のが読めばただの幻想小説だ。

「えー・・・・せっかくの休みをそんなことで使いたくないー」

最近になって の仕事の大半が「シャーロックのお目付け役」となったようだ。
マイクロフトが意図的に仕事を減らしていて、重要な、もしくは彼女しかできない、
つまり国家機密的な捜査にのみ呼び出されるようになった。
彼女は「給料・・入ってる・・・」と少しばかり絶望した顔で明細を握りしめていたけれど、
もらってもいいんじゃないかなぁ・・・ストレス代として。

「その間に壁を修理する。騒音の中で君は休暇を楽しめるのか?」
「・・・・・・・だ、だって・・そんなの!日にちずらせば!」
「マイクロフトが手配した。」
「・・・・・・・・・はぁ・・・」
「なんだ。」
「なんでもないよ、わかったわかった。用意すればいいんでしょ。」

ことん、とおかれたオープンサンド。久しぶりにきちんとした朝食だ。
シャーロックはそれを次々と口に頬張っていく。
食べないときは全く食べないのに、食べるときは人一倍食べるのがシャーロック。
これは足りなくなるな、と は椅子に腰を落ちつける前にまたキッチンへ戻って行った。

+++++

「・・・・なんで まで?」
「知らない・・・」

駅に着くとレストレードが車で迎えに来ていた。
僕は僕の鞄と 、シャーロックの鞄をトランクに詰め込む。
と自分の分はいいとして、シャーロック、自分の分ぐらい運んでくれよ。

「それで?事件の内容を整理してくれ」
「えー、一週間前から謎の失踪事件が、この先の小さな集落で多発してて。
夏は避暑目当ての観光客も多いところだ。今の時期はオフシーズンだからあまり観光客はいない。」
「その辺りはどうでもいい」
「ったく・・それで、一週間前、老人が一人、いなくなった。
捜索願はその次の日の朝に出されている。小さな集落だからボケて道が分からなくなったとか、
そんなもんだろうと知り合いと警察で捜したそうだが見つからなかった。
次の日、別の女性が失踪。この女性も見つかっていない。それから3週間間が開いて、また失踪。
これは青年だな。この次の日に湖で人の、内臓だと思われる肉片が発見されたが、誰のものか特定はできなかった。
それで、湖を探したが、他の人は発見されていない。しばらくしてまた一人。
今度も老人。誰もが顔見知りのような集落だから、これはおかしいってことで俺達まで連絡が来たんだよ」
「・・・・・なるほど、このままその湖に向かってくれ」

シャーロックはそれだけ言うと黙りこんで過ぎゆく風景を眺めている。
どうせ僕らの声は届かない。
がうとうととし始めたところで、僕はグレッグと世間話を始めて、湖に着いたのが30分後ぐらいだっただろうか。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・何かいるな」
「魚が。」
「違う!馬鹿だろ!いや知っていたが!!!」
「何がいるの?綺麗な湖じゃない」

レストレードにほえるシャーロクは が湖に近づこうとしたのを片手で止めた。

「先ほどの話と、湖とくれば、大体【何か】は分かっているが、
何故突然?【そいつ】はずっとここにいたはずだ。レストレード!ここ数十年で失踪事件は?」
「ない。ホントに平和なところなんだよ」
「・・・・・・・・・何故だ・・・・・・・・何かきっかけがあったはずだ。」

低い声でぶつぶつつぶやくシャーロック。
グレッグは何処かに電話をかけて確認を取っているらしい。

「・・・・・・いや、最初の老人がいなくなる前に、強盗殺人があったらしい。ただし、死体は消えていた。」
「・・・・それだ!!!!!」
「なにがだよ。分かるように喋ってくれ。」
「とりあえず【それ】を捕まえない限り、どうにもならない!よし。ジョン、今夜決行だ!!」
「だから何がだよ!!!」

僕の話も聞かずに を引っ張って車に乗り込むシャーロック。
取り残された僕とグレッグは顔を見合わせてため息。
相変わらず話が通じない男だ。
車の中ではシャーロックから何か聞きだそうとしている が見えるが、見るからに、無意味なようだった。