「ねぇ、お願い!一度だけ!」
「だめだ」
「だって!結婚してから一度も見てないのよ?ほんとに貴方がドラゴンかどうか私には確認するすべがないじゃない」
「弟なら、君が頼めばいくらでも・・・」
「シャーロックはシャーロック!貴方は貴方でしょう?ねぇ、お願い!」

私の言葉に緩く笑って、彼はまた文字の羅列を追いだした。
久しぶりに夕方ごろに帰ってきたマイクロフトは
談話室で静かに何カ月か前から読みだした本の続きを読んでいた。
本来、兄も弟も本を読むスピードは尋常じゃないのに、その時間が取れないせいで、
ナイトテーブルの上で皺や読み癖のついていない状態でほったらかしになっていたものだ。
私は紅茶を入れて、向かいのソファに座って、
いつもより少しゆったりと文字を追う彼を眺めながら、何をしようか、迷っていた。
面白くない。いや、久しぶりに同じ空間にいるから、それは嬉しいけれど、
久しぶりなら会話したっていいじゃない。つまんない。けれど、彼も彼自身の時間が欲しいはず。
だから大人しくしているけれど、正直、構って欲しくて仕方ない。
こう言う時、彼との歳の差が明白になって、少し落ち込む。
いつまでも子供でいることは許されない。特に、彼の妻なら。


「・・・・なに?」
「そんなに熱い眼差しで見つめられては照れるよ。」
「熱くないわ、全然ね。いつだって同じ瞳で貴方を見てるの。気付かなかったの?」
「・・そうだったかな、気付かなかった。」

彼は本から顔を上げようとしない。
それでも、私の構って欲しい、っていう気持ちがばれてしまったのか。
仕方なく会話を始めた感じだ。彼は、基本的に親しい人と会話することがない。
きっと言葉に出さなくたって弟の言いたいことが分かっていたし、
シャーロックだって兄の言わんとすることが分かっていたんだろう。
だから、仲が悪いのね、殴り合いのけんかでもすればよかったのに。
そうか、私たちも、そうやって喧嘩すれば、少し分かりあえるかしら。
いつまでたっても子供の私と、いつまでたっても、優しくて、容認する彼。
負担をかけているような気がする。きっともっと見合う人が、他に沢山いただろうに。

「・・・・・・朝の数分と、夜の数十分しか、顔を合わせないから」

吐きだされた言葉があまりにも冷たくて、自分で聞いて驚いた。
彼の事を考えると、いつだってこの結論に達する。
彼に見合うように、彼に迷惑をかけないように、そればっかり考えて、それだけ考えていればいいのに、
欲が出て、寂しい寂しいと泣く。大人になれない、私。

「・・・・
「・・・・っ!あ、ごめんなさい!ぼーっとしてた。そろそろ夕食の準備してくるわ。マイクロフトは本読んでね」

本からやっと顔を上げた彼は、怒っても、悲しんでも、笑ってもいない。
そんな顔。また、また彼に呆れられた。駄目、ほんとに駄目。
由緒ある、本当かどうか別としても、彼らの一族と結婚できたことは、誉なんだから。
だから、駄目よ、こんなこと考えては。

、私は、優秀な妻を娶りたかったわけではないよ。」
「なんでもないのよ、独り言!ぼんやりしてたの、聞き流して頂戴」
「愛する人を娶りたかったんだ。」
「・・・・・・・・・・・いいの、ごめんなさい変なこと言って。」

愛してくれているのは、分かってるのよ。これ以上ないくらい。
でもね同時にこれ以上ないくらい不安なの。呆れていない?
貴方の愛した女性は、本当に、本当に、こんなに幼い子だったの?大丈夫?
言ったって、彼はきっと、私の気持ちは理解できない。

+++++

静かな夕食だった。彼は何も言わないし、私も何も言わなかった。
おかしいな、彼が早く帰ってきたんだから、もっとたくさん、話したいことが、あったのに。
せっかくの貴重な時間を私のわがままな発言で、壊してしまった。
御馳走様、と笑う彼においしかった?と聞けば、
この料理を使用人が食べていたと思うと少し腹立たしい、と言ってくれた。
ベッドにもぐる前にマイクロフトの携帯が鳴った。
彼は曖昧に笑って寝室から出て行った。仕方ない、と私も小説を開く。
もうすぐ、犯人が分かる。そう言えば彼は推理小説は読まないな、と思って
残りのページを半分くらい読んだ頃だろうか、
マイクロフトが帰ってくるのを待っていたけれど、話は終わらないらしい。
ナイトテーブルの電気を消して、シーツにくるまる。

がちゃ、とドアが開く音がした。暗くて、そこにマイクロフトが立っているかどうか分からない。

「ん、あ、電気つけるね」
「いや、構わないよ。」

一向に近づいて来ない彼を暗闇の中で探そうと目を凝らす。
ぼすん、と何かがベッドに落ちた音がした。シーツの下を何かが動く

「きゃっ!!!・・・・・・・・・・え・・?」

私の胸の上には子犬くらいの大きさの薄紫のドラゴンが羽を伸ばして座っていた。
瞳は真っ黒。

「っ・・・綺麗、」

指先で首の付け根辺りをぐりぐりと触ると、気持ち良さそうに目を閉じた。
「ほんとに、ドラゴン・・・なのね。」
話せないようだが、小さく。頷く。ゴツゴツと硬い鱗を撫でていたら、急に重さが増した

「さて、私のお姫様の機嫌は少し治ったかな?」
「まい、くろふと!」

私の真上に、彼の、人間のマイクロフトが顔を見せた。

「少し治ったようだ」
「なんで分かるの?」
「分かるよ」
「観察したから?」
「君の事だからだ。・・・・だから、今夜は君の体温を追わせてくれ、
寂しい思いをしているのは、君だけじゃない」
降ってきた優しいキスと気持ちを表すのが苦手な、彼の精いっぱいの『愛してる』。
こんなことで許してあげないと、私は笑う。