冷たい空気が頬を掠めて
凍てつく風が、私の体温を奪っていく。
イギリスに降り立てば、何もかも変ったような、なにも変わっていないような。
それでもやっぱり、懐かしい。
そんな変な気分にさせられた。
正直、次に勤める研究所を見に行ったり、書類を書いたり、
私を呼び戻した彼氏のお兄さんに会いに行かなければならなかったんだけど
私の頭の中は、シャーロックで埋まっていた。
きっとあの時より歳をとって、
きっとあの時より性格は悪くなっているはず。
ついこないだ、彼から電話があった。
何十年振りかの、彼の声。
低くて、冷たくて、早口。
一人暮らしをすることになったと、そう言った。
それだけ。会いたいとか、愛してるとか、別れようとか、なんにもなし。
それだけ言って、電話は切れた。
そのあと、メールしてみたら、案の定、メールはセンターから帰って来た。
いつの間に、メールアドレスを変えたのかしら
なんとか、聞きだした住所を手に握りしめて、
私は秘密裏に、彼の家を目指す。
++++
タクシーが止まったのは、ハイド・パークの近く。
私が昔住んでいたフラットからも近い。
ベーカー街221b
深緑のドアをノックしてしばらく。もう一度ノックして、しばらく
ぱたぱたと軽い音とともにドアが開かれた
「はい?」
「あ、あの、」
「どなたかしら?こんにちは、今日は寒いわねぇ・・・」
「あの、シャーロック・ホームズは、」
「あ、あらあら、依頼人さん?彼は今、警察に行ってて・・」
顔を出した初老の女性は肩にかけたカーディガンを引き寄せながら寒そうにつぶやいた。
『依頼人』?『警察』?彼は一体、大学を卒業して。なにになったんだ
「もうすぐ帰ってくるとは思うんだけど・・・・その、分からないの・・・一応、電話してみるれけれど、
期待しないでちょうだいね!・・ああ、寒い・・!とりあえず。中に入って待ちましょうか?」
「・・・え、と、そうですね・・・出来たら・・・」
「彼の部屋は2階よ。紅茶でも持って行きましょうか?」
「あ、いえ、お構いなく」
私は階段を上がる。こんなに簡単に部屋に通していいものか。なんて脳裏によぎったけれど
踝を返すにしても、行くところが無い。外は寒いし。私がやるべきことは一つだ。
シャーロックの部屋の前。扉を押すと、想像した通りの部屋。
書類は床に散らばって、本のタワーがいくつも乱雑に並んでいる。
唯一、座れそうなのは一人掛けのソファ。
私はそこに座って周りを見渡す。
はやく、かれにあいたい
ソファからは彼の香りがする。
バタバタと息もつかないような勢いでイギリスに帰って来たのと、彼の香りで
私は安心してしまったらしく、そのまま、意識を手放した
「犯人は見つけてやっただろう!」
「方法と言い方が悪いんだ!」
「シャーロック、お客さんがきて・・」
「ハドソンさんただいま!!!僕は用事がありますので、依頼人は返して下さい!」
「おい!シャーロック聞いてるのか!何が言い方だ!
優しく言ってもやったことは変わりない!!!!夫を殺したのは彼女だ!!!」
「そりゃ、そうだろうけどな!!!!」
がつん、がつん、と階段を駆け上がる乱暴な足音と
それを追う、誰かの足音。それから聞きなれたマシンガントーク
ゆるり、と瞼を開けて、ううん、と首を回すと嫌な音が腰から首から。
がちゃん!とドアが乱暴に開けられる。
「煩い!帰れレストレード!!!!」
「!」
「あ、おい、しゃ、シャーロック」
「なんだ!」
シャーロックの懐かしい背中。
彼は今すぐ扉をしめたいらしく、私に背を向けて、いる
白髪混じりの男性が私を指差して、やっとシャーロックが振り返った
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「誰だそr」
レストレード?さんの声が聞こえる前に、ばたん!と扉が閉められた。
シャーロックは眼を見開いて、私を見つめている
「・・・・・シャーロック」
「・・・・・・・」
「ただいま」
「・・・・・・聞いてない!聞いてないぞ!いつ帰った!」
「3時間前。ずいぶん待たされちゃった。ねぇ、依頼人とか、警察とか、何?」
「CIAはどうなった!」
「え、なんでそれ知ってるの!?極秘情報よ!」
「兄が政府に勤めてただろう!いや、そんなのはどうでもいいんだ!」
詰め寄るシャーロック、と行き違いの会話。
彼はやっぱり、あの頃より、大人になっていた。
だけど中身は逆行してしまったようだ。
「話したいことは、たくさんあるんだけど。一個確認したいの」
「・・・・なんだ?」
「ねぇ。私の事、まだ好きでいてくれてる?」
答えの前に、彼は私を引き寄せる。
痛いくらいの力で、抱きしめられて。
我慢できないくらい、自然と笑みがこぼれてしまう。
「シャーロック」
「・・黙ってろ」
「今晩、ホテル取ってないの。泊めて頂戴」
「・・・・・・・・・・・分かった」
「よし!じゃあ仕事してくる!研究所見て、マイクロフトさんに会って、
書類書いて、ご飯買って帰ってくるから、待っててね!!」
「ちょっと、待て!なんだって?マイクロフト?」
「行ってきます!!!」
「!!!」
彼の飛びとめる声を無視して、私は階段を駆け降りる。
彼の好物ってなんだったかしら、と頭の中で記憶を探るけれどヒットはしない。
まぁ、いいか、これから時間はたっぷりある。
道路に出て振り返ると、窓際に身長の高い、癖毛の男が、私の事を見つめている
小さく手を振ると、少し慌てるそぶりをした後、二度だけ、手を振り返した。