それに気付いたのは僕の可愛い可愛い女神様からやっとのことで鍵を渡されてから二週間後だった。

正直、作ろうと思えば作れたし、彼女が大学に行っている間に、ここの荷物を僕の家へ運ぶことだって
不可能じゃなかった。でも、僕はそれをしなかった。
彼女に嫌われるのが怖かったからだ。
小さなシルバーのカギにうさぎのキーホルダーをつけて、「なくさないでくださいね」なんて。
可愛いことをしてくれる。
今日は土曜日だって言うのに、朝から授業に出て、さっき帰ってきたところだ。
帰ってきて、「ただいま」なんて言葉もそこそこに洗濯機のスイッチを入れ
シーツを干してと大忙し。
イギリスにしては珍しい、晴天。
季節は緩やかに冬へと移り変わり始めているので空気は冷たい。
僕の周りをぱたぱたと跳ねる彼女の髪から
彼女の物じゃない香りが、僕の鼻孔をくすぐった。

「・・・・・・・
「はい?」

腕を引き寄せると、簡単に僕の腕の中へ転がり込む。
最新型の掃除機を抱えてなければ、もっと良かったのに
の項に顔を寄せると、なんだか分からない声をあげて
勢いをつけて僕から離れた。

「な、な、なんなんですか!!!」
「・・・・・・煙草の匂いがする」
「・・・・へ?」

全く気付かなかったのか。
髪にも服にも煙草の香り。
彼女は、煙草は吸わないし、僕だって彼女の前では吸わない。

「・・・あっ」
「今日、大学だったよね?」
「今度、共同研究の発表するんですけど、アドバイザーの先輩が、煙草吸う人なんです」
「男?」
「はい」
「・・・・・・・・それって」

そんなに香りがつくほど一緒にいたの?と聞こうとしたら
バスルームから洗濯ができたと音が鳴った。

「あっ!もう!洗濯機終わる前に掃除機かけたかったのに・・・ウィリアムさん、
掃除機と洗濯ものとどっちがいいですか」
「どっちも嫌、ねぇ。話終わってない」
「じゃあ掃除機かけてください。」
「ちょっと、」

半ば強引に掃除機を手渡されて、僕が反論する前に彼女はバスルームへ。
やらなければ彼女が後でやるんだろうけど。そうすると僕を構う時間が無くなる。
僕はため息をついて、掃除機のスイッチを入れた。

++++

そんなことがあってから、の帰りが日に日に遅くなっていった。
決まって、見知らぬ男の煙草の匂いが酷かった。
彼女に言えば、困ったように笑って、後ちょっとなんです、と言う。
目に見えて、疲れているから、僕もあまり言及できなかったのもある。
ただ、発表が終わった日、彼女は、日付が変わるギリギリまで、帰って来なかった。

「た、だいまです・・・・・」

足元もふらふらで、なんとか帰って来た様子だった
頬は赤く、呂律も微妙に回ってない

「酔ってるの?」
「よって、ま、す・・・・」
「一人で帰って来たの?」
「せんぱいが、たくしーでしたまで、」
「なんで僕に連絡してくれなかったの?迎えに行ったのに」
「だって、うぃりあむさん、おしごと」

かしゃん、かしゃんと僕の理性が崩れ始めてる音がする。
彼女の腕を引き上げれば、やっぱり、煙草の匂いが酷い。
僕の、可愛い女神さまは、太陽の香りが似合う人。
これは、これは

「・・・・・・・・違う。」
「え?」

自分でも驚くくらいの低い声が出た。
彼女の腕をひっぱって、バスルームに無理やり入れる。
シャワーをひねって、彼女に頭からかけると
吃驚した顔で僕の事を見ていた。
いや、脅えていた、という方が正しいかもしれない。

「やっ・・・・・っ!!!やめてくださいっ!!!!!!」
「それ脱いで」
「やだっ!ウィリアムさんっ!!!!!!離してっ!」

白いシャツにお湯が染み込んで、うっすらと色付いた彼女の肌が浮かび上がる。
しゃがみこんだ彼女を立たせて、シャツを引っ張ると、思ったより簡単にボタンがはじけ飛んだ。
もっと、縫製のいいもの、今度送ってあげるから、こんなのは捨てた方がいいよ

「やめて!やめてくださいっ!なんで、怒ってっ!!!!」

水音に混じって、彼女の泣き声が聞こえたけれど、湯気の向こうじゃ
はっきり見えない。見えないんだから眼鏡も外して乱暴に壁に押し付けた。

「ぅんっ!!!!!あっ、やっ!はなして・・・ふっ・・くっ・・・・ んっ・・・やぁっ・・・」

もともと酔ってたせいで抵抗する力も弱くて、案外、簡単に黙った。
がり、なんて嫌な音がしたから、彼女の唇を噛んでしまったかもしれない
水滴のせいで顔についた髪の毛を分けてやると、水滴なのか、涙なのか
良くわからないものが彼女の頬を伝う。

「っ・・はなして、くださっ、なん、でっおこって、」
が煙草の匂い、付けて帰ってくるから」
「それってっ・・しんよう、してくれてっ・・・ないってことですかっ!」

彼女は箍が外れたように泣き崩れた。
ザーザーと頭からシャワーの水が流れて行って、
彼女の声が、シャツが、僕を突然、冷静にする。

「ち、違うよ、違う・・・ごめ、ごめん・・
「やっ!!!」

触れようとすると体を小さくして、拒否する

その瞳には僕は映らない。

「・・・・」

僕はぺたりと座りこんだ。
苦し紛れに漏れた声はやっぱり水音にかき消されていく。
太陽は僕を見捨てなかったのに、僕は太陽を裏切った。
もう一度、腕を伸ばしたら、今度は拒否されなかったけれどそれでも顔はあげてくれない。
近づいて行って抱きしめても、彼女は僕の方を見てくれない

「ごめん、、痛かった?怖かった?ごめん。ごめんね」
「・・・・・・・・」
「信用してないなんて、絶対にないから。ごめん」
「・・・・・・・・・・こわか、た」
「っ・・ごめん」

絞り出された声が、聞いたこともないような脅えた声で、
僕は声が出ないくらい、怖くなった。
体温がざっと引いて、彼女に捨てられたらどうしよう、なんて
そんな考えが頭の中をめぐる

「・・・・・、ほんとに。ほんとに、ごめんね。許して。」

愛してるという代わりに今度は優しくキスをした。
唇に触れた鉄の味に、沢山の罪悪感と少しばかりの独占欲に僕は苛まれる。
水音は、止まらない。