出会いからして相当、奇妙な出会いだった。
大学の図書館に閉じ込められたのが、との初めての出会いだった。
一晩のうちに彼女の秘密をいくつか知った。
ピッキングの方法を知っていること。僕までとは言わないが、観察眼に長けていること。
それから時折、文系なのに僕に食事をさせるためにわざわざ研究棟までやってくるようなお人よしということ。
それから冬に酔った彼女に襲われた。あれは今でも強烈に覚えている。
何よりも鮮明に覚えているのは家まで送った時にメリー・クリスマス、と笑った彼女の顔だった。
そして大学を卒業して、アメリカへ行くと聞いて、4,5年。ロンドンへ突然帰ってきた。
メールが来たときに、誰だか分からなかったのが正直な感想だ。
だが僕を唯一、見捨てずに隣で笑っていただと思いだした。
それはマインドパレスからずいぶん前に消去したはずのデータだったと言うのに。

「シャーロック、煙草はやめなさい」

ホテルの一室で兄と対面する。
相変わらずの様子だ。体重は多少なり減ったようだが。
灰皿には溢れんばかりの吸い殻。ジョンが見たら激怒するだろう。
そう思って、苦笑した。ジョンの中では、僕はもう死んでいる。
それは にとっても同じことのはずだった。

「僕はいま人生で最大の窮地に陥ってる。つまらない。何もない。情報が見つかるまで動けない!」
「すべて、お前が引き起こしたことだろう。」

眉間に皺を寄せた兄がばさ、とファイルをよこした。
手にとって中を見る。モリアーティ一味の情報だろうか。
そこには、不自然に笑う、の姿。

「しばらくロンドンを離れるそうだ。」

動揺した。それが正直な感想だった。
だからと言って、僕が駆け付けるわけにもいかない。
僕は、今彼女にしてやれることは、何もない。
しいて言えば、僕が「死に続けている」この状況が彼女の命を守る最善の策だった。

「最近、体調も崩している。食事を取っても吐くそうだ。」
「・・・・・・・精神的なストレスから引き起こる体調不良だな」
「叔父の所へ行くそうだ。しばらく帰って来ないと。」
「そうか。それがいいだろう。あいつの信者は、僕だけじゃなくてジョンや にまで手を出す可能性だって0じゃない。」
「そうだな。」

不自然に笑う彼女の写真を眺める。
誰が見ても、大切な人を失った悲しみを越えた女性の笑顔だ。
だが。それは僕にとって不自然以外の何物でもない。僕は本当に、彼女の「大切な人」でいてやれたのだろうか。
は昔から、自分に嘘をつくのが上手い。感情を押し殺し、誰にも悟られないように
あれだけ感情をあらわにする性格なのに、一番大切なことは、全部自分が黙ってしまえばいいと思う節がある。

「お前が落ちてくるそうだよ。」
「は?」
「お前が、空から落ちてくるそうだ。朝起きてから、夜寝るまで。」
「・・・・・。」
「彼女は、お前が落ちるところを見ていたわけじゃないんだがね。」

彼女の前では、あの日の悪夢が再現され続けているということだ。
ジョンだって、夢に見るらしい。またあの無能なカウンセラーに通っている。
僕が落ちるところを見ていないからこそ、彼女は僕が死ぬ幻覚を見続けるんだ。
彼女は、僕が死んだことを認識したくない。信じていない。
ジョンや、レストレードや、ハドソンさんの中の僕は「死んだ」が
の中では僕はまだ生きている。
その願いが、いつしか大きな引き金を引くような気がしてならない。

「ロンドンを離れている間は大丈夫だと思うが、帰ってきたらまた監視をしてくれ」
「ああ、分かっているよ」
「何か、僕らが想像もつかないような事をならやりそうだ。」
「・・・・そういう女性だからね。」
「そして、 は兄さんを疑ってるんだろう?」
「驚いたよ、そのようだね。」
「やっぱり、彼女を欺くなんて無理なんだ。昔から、そうだった」
「そうか。だから、お前の隣に立っていてくれたんだ」

感情を表すのが苦手な僕に。
彼女は全てを読み取って立っていた。
口には出さない優しさを、行動で表した。
僕は、愛された分、彼女に何か返していただろうか。
今更になって、会えなくて話せない状況で、不安になる。

「私はもう行く。あまり滞在してここがバレるのはまずい。」
「ああ。わかった。」

何もできない不甲斐なさがどうしようもない不安を呼び起こして仕方がない。
出て行く背中に声をかける。この背中が、僕にとって人生最初の理解者だった。

「・・・・兄さん」
「なんだ。」
「・・・・ と、ジョンをよろしく頼む。」
「・・・・・・・・分かっているよ。だが、全てお前が招いたことだ。シャーリー。
責任を取りなさい。きちんとしなさい。協力は惜しまない。自分で解決しなさい」

もう一度、煙草をつける。
とジョンの元へ帰るために、僕はやらなくちゃならないことが沢山ある。
悲しい、不安、怒り、こんな感情とはずいぶんと長い間縁を切っていたのに。

この時は、知らなかった。

がロンドンを離れた理由が、ただの体調不良でなく、その体に、小さな命を宿していたことを。
そしてロンドンへ戻ってきて僕と再会するためにモランに近づこうとしたこと。
全てが終わって、病院で目を覚ました時には、既に母親になって3年経っていたと言うことを。
そして、今現在、こうやって煙草を吸っている間に、僕は、父親になっていたことを。
僕は何も知らなかった。