初めて会ったのはまだ、お互いが家の事も将来どういう関係になるのかさえ理解できないくらいの歳だった
10歳になるかならないかくらいだ。
夕日を塗ったような赤い髪とブラウンの瞳。
屈託なく笑う笑顔に引かれたのはその時。
両親の仲がいいため、話の流れで婚約者の候補に挙がった。
ただ、両親は彼女と私を結婚させる意思など、毛頭なかったのも分かっていた。
できるだけ、見合った家柄と。
彼女の家が低いというわけではないが、まぁ。上流階級に入るか入らないかという中途半端な位置。
認められない。認められるわけがない。
それは彼女も分かっていた。

「あ、待った?」

“婚約者は、もっと見合った人がなるんでしょ、どうせ。
だから私はお友達の少ないマイクロフトのお友達でいてあげるわ。”
そうやって小さく笑う。口癖だった。
せめてその表情や声に、多少の怒りや迷いがあれば救いになったものの
彼女から感じるのは、その言葉が本心だということぐらいだった。
道向こうから制服姿で待ち合わせのカフェに来る。
歳がそれなりに離れていた。弟より年上だが、私よりずっと下だった。
私は、政府の仕事についたばかりだったし、彼女は、卒業を目前としていた。

「いいや。待ってなどいないよ。わざと早く来たんだ。」
「社会人がそんなのでいいのー?仕事は?」
「きちんとこなしてきたさ。何か飲むかい?」
「飲む。紅茶がいいな。」
「ここはフレーバーの数が多い。」
「ほんとに!?やった」

動作に、視線に、声に、言葉に、多少なりとも愛や恋の影が見えればいいと願っているものの
彼女の行動からは全く見えず、自分ばかりがずるずると引きずり込まれる。
最早止められないし、止まらないと思っている。
人間の欲は覚えてしまえばどうにもならないのだ。
彼女はメニューを見て、紅茶を頼んだ。
外に置かれたテーブルで今にも雨が降りそうな空。
イギリスでは珍しくない。

「お仕事どんな感じ?順調?」
「まぁ、そうだね。それなりって感じだ」
「マイクロフトつまらなそうだわ。貴方達はいつもつまらないような顔してるのね」
「シャーロックの事かな?学校に行かないと毎日のように叫んでいるよ」
「大学、に行ったら多少変わるでしょうけど。まだ道は長いわね」

くすくすと笑う。ぱたり、空から一つ雨が落ちてきた。
ぱたり、ぱたり、雨は止まらずに量を増やしていく。

「降り出した。寒かったら中へ入るかい?」
「いいえ、いいの。今日は温度も低くないし。大丈夫」

紅茶が来た。甘い香り。何かフルーツの果肉が浮かんでいる。
にこにこと笑って唇へ運ぶ。
どの動作を眺めても、呆れたくなるぐらい好きだと警鐘が鳴る。
馬鹿みたいだ。馬鹿なんだろうが。

「君は?。学校はどうだい。」
「そうねーまあ、今年、卒業だから。皆、大学の事とか色々考えてる。でね、卒業が近くなると浮足立つじゃない?」
「何が、」
「・・・男と女が。卒業を前に告白しときたーい!みたいな。」
「さぁ。私には分からないけどそうだろうね。」
「マイクロフト学生時代告白されなかったの?」
「今より体型が太っていたからね。」
「そんな理由で?嘘よ、告白されたことあるでしょ。」
「・・・・・・・・・・・・・まぁ。それなりに。」

それなりに。ただ、そこで踏み込むわけにはいかない。
誰が、何を思って私に近づいているかわからない。
そう思うと誰も信用できない。
それに、もし万が一、その辺りの女性と付き合ってみろ。
父は怒り、母は泣く。弟は、どうだろうな、笑うだろう。

「それで!こないだ告白されちゃった!」
「そうか」

ずき、痛みが走って、がんがんと警鐘は大きくなる。
唇が震えるのを抑えるのに、コーヒーを一口。
が、嬉しそうにしていることに対しての怒りなのか。
それとも悲しみなのか。

「・・・・ちょっと!動揺しないでよ。流石に貴方の婚約者候補で名前あがってるのに、OKするわけないじゃない!」
「・・・・・私がいなかったら承諾していたのかな。」
「ちょっと不安になった?」
「私はずっと不安だがね。」
「そうねー・・んー。いなかったら、OKしてたかも。だって恋したいし、愛されたいし、愛したいし。
全部、私にとって未開の地なのよ?」
「全部、私とでもできるだろう」
「でも将来、貴方の隣に立つのは他の女性よ。」

笑う。ここでも。
少しでも悲しい顔をしてくれと、
不安や、強がっているのだと、そう見抜ければいいのに。
彼女以外にできることが、彼女にだけできない。
雨が、不安を増長させる

「将来、私の隣に立つのはだよ」
「やめてよ、出来ないことを言って夢見せないで頂戴」
「本当だ。」
「どうして?どうして言いきれるの?」

唇が震える。は、と小さく息を吐いた。
彼女は無邪気な瞳をこちらに向けた。

「愛しているからさ。」
「・・・・・・・・私を?」
「ああ、君を。」
「・・・・・・・・・ホントに?」
「なんだ、嫌なのかい?」
「う、ううん・・違うの・・ちょっとびっくりした。」
「・・何故?君は私の婚約者だろう?」
「もっと、あの・・ほら有力な?家柄の女の子が、いるじゃない?」

ぱたぱたとブラウンの瞳から大粒の涙がこぼれる。
それがうれし涙なのか、悲しいのか、見ていて分からない。
ただ、ブラウンの瞳からは涙がこぼれる。ああ、やっぱり、私が観察していた彼女は
嘘などついていなくて、隠しごともしていなくて。ただの私の願いだったのか。
人の雑踏がやけに遠くに聞こえたが、その雑踏が若干、救いになっていた。

「無理、しなくてもいいんだよ、
「違うの!」

初恋は叶わないと言うことはこういうことか、と理解したと思ったら
ぴたりと涙を拭いて前を向いた彼女に驚いた。

「違うのよ、マイクロフトが嫌いって言うんじゃないの!すごいうれしいの!だって
だって、ほんとに、私の家だと無理だなって、思ってて、だから・・・」

言ってる間にまた涙があふれ始める。
小さく小さく聞こえる泣き声を聞きながら、慰める場面で、私はただ安心していた。

「・・・・・良かった。これで君を誰かに取られる心配はなくなった。」
「・・・・・・・・・?」
「学校で。告白されたんだろう?」
「・・そ、りゃ、でもそんなの彼だけかもしれないし」
「一人で終わるわけないだろう。」
「・・・・・・・そうなの?」
「そうだよ。」

いつの間にか雨がやんで雲の合間から光が漏れ始めていた。

「・・・指輪を探しに行こう。」
「え、もう?」
「早い方がいい。」
「でも、あの、待って待って!」

立ち上がって会計を済ます間、何か後ろで言っておいたが放っておいた。
道向こうに車が止まる。
運転手が降りてきて、ドアを開ける。

「おいで、
「マイクロフト今日は駄目!」
「なんでだい。」
「だって、だって今日済ましちゃった次、会う理由がなくなるから!それに私、今日制服だし!」
「・・・・・・・・・・・。」
「マイクロフト?」
「じゃあ指輪は次にしよう。今日は、とりあえず私の家に・・・・といいたいが、明日も学校だね。」
「マイクロフトだって仕事じゃない。」
「そうだね、こういう時は弟の自由さが羨ましくなる。」

車に乗り込むと自然と出発する。
ゆるり、と動き出した車に乗ると、お互いに喋ることもせず。


「なぁに?」
「別に理由がなくても、会いたければ会いに行く。」
「・・・・・ほんと?」
「本当。」

ぱぁと明るくなる表情に、
以外の婚約者にないものを見て
満足感を得る。
彼女たちはそうであろうとしすぎて、自分の感情を押し籠める。
隠しているつもりだろうが分かってしまう。

「制服を堪能できるのもあと少しだもの。」
「確かに。鑑賞も堪能もしなくちゃならないな。」
「やらしー」

「男は結局、こんなことしか考えてないんだよ。」

にこにこと笑う横顔に、太陽の光にあたってはじける赤色に
これ以上もない幸福を見出して。
左手に力を込めれば、私を見上げて笑う君に。
努力を惜しまずその笑顔を守りたいと小さく誓った。