何日かぶりに、スティーブンさんが声を出した。
「家に帰る」
それだけいうと、ザップは書類の山をまとめ、レオナルドは机の上に重ねておいてあったマグカップやティーカップを流しに運び、
ツッェドはスティーブさんの机の周りに丸められた紙ごみをまとめ始め、クラウスは彼のコートを手渡した。
うっすらとヒゲが生え、目の下には深い濃いクマが刻み込まれた彼はどう見たって「伊達男」ではなかった。
うつろな目、皺の入ったシャツとくれば、もう疲れたサラリーマンだ。今にも自殺しそうだ。
ぱたぱたと動き出した後輩(と上司一人)を眺めながら私はギルベルトさんが淹れてくれた紅茶を啜る。
だって、私は何度も何度も何度もベッドで寝た方がいいっていったのに、
最後の方はうるさそうに眉間にしわを寄せるだけになった彼を許してはいない。
私は彼のいないベッドで悪夢にうなされ、何度も夜中に目を覚ます生活をしていたのに。
まぁ、私と仕事どっちを選ぶの、とは言わないが世界を守る仕事と書類仕事どっちを選ぶの、という話である。
「、スティーブンの鞄を持って見送ってはくれないか」
「はいはい」
ざわざわと動く部下たちをそっちのけでクラウスの差し出したジャケットさえ受け取らずにエレベーターに乗り込んだ
スティーブンさんの機嫌は最悪なのだろう。
私はスティーブンさんのジャケットと鞄を手に彼の後を追いかける。
「、今日はもういい、君は彼のそばにいてやってくれ」
「絶対機嫌悪いから嫌だなぁ」
「だからこそだ」
クラウスは本当に機嫌の悪い時のスティーブンさんを知らないからそう言えるんだ。
人を殺しそうな雰囲気ととげのある言葉しか言わなくなるんだぞ彼は。
じっと私の瞳を見つめる彼を見つめ直す。
こうしているうちに、彼はきっと自分の車にエンジンを駆けてしまうからジャケットと鞄を受け取って急いで彼を追いかけた。
まあそばに居るかは彼の機嫌次第だ。どうせ、彼が半ば無理やり私の住んでいたアパートを解約してしまったので
私は彼の家に帰るしかないのだから、夜には会うことになるのに。
急いで地下まで降りると、丁度車に乗り込むところだった
「スティーブンさんジャケットと鞄!」
私が叫ぶと彼はちらりとこちらを見て、それから車に乗り込んだ。
返答もしない。最悪。
しかし車は発進しないので待っているのだろう。助手席のドアを開けて、鞄とジャケットを置いた。
「19時には帰りまs・・!?」
鞄とジャケットを置いて、踝を返そうとした私の腕を乱暴に掴んで車の中に引きづり込まれた。
まるで誘拐だ。
中途半端に車に上半身を突っ込んだ私は腕の痛さと思いっきり開けたドアに引っかけた足首の痛みに耐えた。
「いった!!!!!」
「ドア閉めて。」
私のことなんかお構いなしだ。
見送るはずだったのに、車に乗せられ、今から拷問でもされるような雰囲気の車内を耐え、気がつけばスティーブンさんが住んでいる高級マンションの駐車場に居た。
何も言わない彼は最高に怖い。ここに座っていたのがザップなら、命の覚悟を決めるところだろう。
そりゃ、山積みになった書類をひたすら読み、書き、まとめ、本部と連絡を取り合っていた彼は、
眉間のしわも濃くなるし、クマも深くなるし、髭も伸びることだろう。
仮眠は仮眠室かソファの上で、食事は適当。風呂は事務所のシャワーのみ。
しかもその間間に世界も救うもんだから、余計なエネルギーは最早割くことなんかできない。
だからって無言って言うのも辛いものだ。そしてだからこそ、私なんかに気を使わず、数時間でもいいから一人でゆっくりしてほしいのに。
車を降りたスティーブンさんがドアを乱暴に閉める。
彼のジャケットと鞄を膝に乗せていた私は、すたすたと行ってしまう彼を後ろから見ていた。
やだなぁ。このまま帰るの。と思っていたらスティーブンさんが立ち止って振り返った。
私は慌てて車から降りる。ドアを閉めて彼を追いかけると背後で車のカギが閉まる音がした。
先にエレベーターに乗り込んだ彼を見ながら、本当にこのまま上がりこんでいいものか考えた。
いつまでたってもエレベーターに乗ろうとしない私をスティーブンさんはギロ、と睨み、目がしらの辺りを指で押さえながら
また乱暴に私の腕をつかむ。
目線も、雰囲気も、恋人と一緒に居る人がやることじゃない。
今から私を殺そうとしている人と、今から殺されようとしている人の図だ。
エレベーターの扉が静かに開く。高層マンションの最上階近く。
鍵を開けて、絨毯の上を長い脚が進みながら彼はポイポイと靴、ジャケット、ネクタイをはずしてばらまきながら進んでいく
「あら、お帰りなさいませ旦那様、さん」
「た、だいまヴェデットさん!」
廊下に捨てられたスラックスやシャツを集めながらリビングに行くと、ほぼ裸の状態のスティーブンさんが出来上がっていた。
目を丸くしたヴェデットさんに挨拶しながら腕の中で山盛りになった服を彼女に預ける。
スティーブンさんは、既にベッドルームへ消えて行った。
「スティーブンさんの機嫌最悪なの」
「あら、お仕事が立て込んでらっしゃった見たいですものねぇ」
「決算がね・・・今日、バスタブにお湯はってもらえますか、いや、1、2時間は寝ると思うので・・・」
「ええ、かしこまりました」
「世界を救うのに忙しすぎて」なんて本当の事は言えないから会社の決算が立て込んでいることになっている。
スティーブンさんの鞄を持ち直し、彼の怒号が聞こえる前にベッドルームの扉を開ける。
鞄を隅っこに置くと、既にベッドの上には倒れこんだスティーブンさんが酷く怖い瞳でこちらを見ている。
無言で差し出された手を仕方なくつかむと、やっぱり彼の腕の中に引きずり込まれた。
今日は引きずり込まれてばっかりだ。いつもの優しい彼など何処にもいない。
「ぅんっ・・・・!!!」
がり、なんて酷い音がした。
唇が本当に切れてしまうくらい酷いキスだった。
彼はそれを舐め取った後、
縦横無尽に口の中を駆けまわる彼の長い舌が息をするのも許してはくれない。
「んんっ・・・は・・・・んくっ・・・まって、すてぃ・・ふっ・・・」
長い指が足を上ってきて、ストッキングの端を探すように動く。
彼の肩を殴るも唇は首元へ移動していて、動かない。
びり、とストッキングが破れる音がして、ああ、もう、なんて呆れたように力が抜けた。
「、」
「寝てください」
「手酷く抱いていいかい」
「寝てください」
「優しくはできなさそうだ」
「寝てくれないなら私、今すぐ事務所に戻りますよ」
「」
何日ぶりかにきちんと彼と会話したような気がする。
彼は怒っている。何に怒っているか分からないが、機嫌は良いとはいえない。
しかし私も怒っている。自分を大事にしてくれない彼に、とても。
両手でスティーブンさんのほっぺたを包んで彼の瞳をじっと見上げる。
「スティーブンさんが眠っても、スティーブンさんが起きても、一緒に居てあげますから、ちょっと眠りましょう。
それから起きて、ヴェデットさんのハンバーグ食べて、いいワイン飲んで、お風呂に入って、二人で見かけていた推理ドラマ見て、
明日はお休みもらって、一日かけて優しくして下さい。」
「・・・・・・・・」
「わかったら、もっかい、キスしてください。」
理解はしただろうけれど承服は出来ない彼は、私にのしかかったまま動かない。
仕方ないので私が彼の唇にキスを落とす。ちゅ、と優しい音がする。
ぎゅうと抱きよせられたのでふわふわの髪に指を沈ませて頭を撫でてみる。
しばらくすると穏やかな寝息が聞こえてきた。
「起きたら愛してるって、いってくださいね」
この声が聞こえたかどうかは分からないけれど
彼は伊達男なのだからきっと情熱的な愛してるを告げてくれることだろう。